225 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《1》 投稿日:04/01/02 10:05 kVNl3quE
 ここに来るのは初めてだ。
 私は同級生に促されるままその扉をくぐる。玄関口に咲く花々が春の訪れを感じさせる。
「よく来たねー、よみ、榊ちゃん」
 出迎えたのは、滝野智。私をここまで連れてきた彼女の幼馴染。
 滝野智。何て呼んだらいいのか分からない。智、とも、ともちゃん、滝野さん、滝野。
気がついてみたら今まで一度も名前で呼んだことはない。私を連れてきた、水原暦、彼女
も何て呼んだらいいのか分からない。皆の呼び方はよみだから迷わずよみと呼べばいいの
に、彼女の呼び方も分からない。
 だから心の中で人物を意識するときは苗字で考えている。滝野、水原。そうすれば無機
質で、座りがいい。でも呼びかけるときはそんなふうに呼びたくはない。もと砕けて親し
みをこめて。でも、私は、何て呼んだらいいのか分からない。
「そんなに不安そうな顔、することないよ」
 水原が私の顔を見て笑った。
「ちょっとしたごっこ遊びなんだから」
 水原はしきりにごっこ遊びという。でも、どんな遊びなのかは決して言わないのだ。そ
の眼鏡の奥の目はいつもより親しみやすく微笑んで、私を見つめる。
「ほら、入るよ。おじゃましまーす」
 きゅっと、手を掴まれた。私は顔を赤らめる。いつもは顔を覆ってその素顔を隠すのに、
それが適わず眼鏡の前に剥き出しになる。フレーム越しの私の素顔。
「ふーん。榊ってさ、いい顔するねえ」
 これは今日が楽しみだ。とてもいい顔で笑って水原は言った。でもどんな遊びなのかは
決して口にしないのだった。



226 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《2》 投稿日:04/01/02 10:06 kVNl3quE
 事の起こりは三日前、水原と映画を見に行ったときから始まる。
「榊は何でもっと素顔を見せないのかな」
 そんな言葉がどきんと胸をついた。喫茶店である。古い洋館の入り口をあしらったよう
な装いで、しかし喫茶店の看板は出ていないこの店は、お茶とケーキがこの駅周辺で最も
美味しい。水原のお勧めだが、見つけたのは滝野だという。
「いや、榊は多分自分で思っている以上に表情過多なんだけれど、今一吹っ切れていない
んだよな。勿体無い」
 そうだろうか。私はいつも自分の表情を自覚できない。
「ほら、そんな顔して」
「ごめん」
 誤らなくてもいいのに、といいながら水原はお茶を啜る。
「榊はさ、いつから向こうに引っ越すの? 」
 実家から少し離れた大学に進学する私は、そこの近くのマンションに住むことが決まっ
ていたのだ。実は引っ越し自体は終わっていて、そこに住むのは来週からだというと、水
原はいたずらっぽい笑みを浮かべる。こんな笑顔が滝野に似ているのだ。
「じゃあさ、ちょっとした遊びに付き合ってよ」
 わけもわからないまま私はうなずく。我が身に何が起こるかわからぬまま。
 よかった、水原はにこにこと笑顔になる。今食べている、チーズケーキみたいに甘い笑
顔。


227 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《3》 投稿日:04/01/02 10:07 kVNl3quE
 滝野の部屋はすこし異様なくらい熱くてむっとしている。ストーブをがんがん焚いてい
たらしい。大丈夫、換気してるよ、今は石油ストーブ外に出してて、ヒーターだけにして
る。なるほど、微かに灯油の匂い。床に座るよう促され、私はぺたりと座り込む。
 それにしてもこの部屋はなんだろう。ありとあらゆる柔らかいものが部屋に置かれてい
る。クション、枕、布団布団布団。お泊り会のよるよりもふかふかな部屋。
「壮観だな」
 水原がかすれた口笛を吹いた。
「はい、よみ、榊ちゃんココアどーぞ」
 とろんと口に流れ込むココアは苦くて甘い。ショコラリキュールきかせすぎだぞ、と水
原。大丈夫、殆どアルコールはとんじゃってるよ、と滝野。
「微かなアルコールは、リラックスするために必要だもん。でも前後不覚になっちゃった
ら面白くないだろ」
 そんなに、お酒入ってるのか? 思わず尋ねたら滝野に笑われた。大丈夫だよ、そんな
にアルコール度数強くないし、それより身体ぽかぽかしてきただろ? こくん、とうなず
くと満足そうな顔の滝野。
「温かくしておかないと、風邪ひいちゃうからね」
 何のことか分からない。それはこのむしっとした部屋に関係するのだろうか。たくさん
着てるなら、預かっとくよ、よみ、セーター貸して。素直に上を脱いで水原はティーシャ
ツになる。その勢いにつられたように、私も一枚脱いだ。この部屋は暑い。



228 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《4》 投稿日:04/01/02 10:08 kVNl3quE
「はい、ふわふわふわふわって言って」
「え? 」
「いいから、ふわふわふわって言うの! 」
 滝野の、こういうところが苦手でつい従ってしまう。ふわふわふわ。水原もふわふわ言
いながら身体を動かしている。こうやって身体を動かしながらふわふわ言っていれば身体
がリラックスしていくのだという。横をちらりと見れば、水原は眼鏡を外してぐるぐる頭
を回す。こうしないと有らぬ力が入ったときに怪我してしまうのだそうだ。
「榊ちゃん、目閉じて」
 そうだ、何も考えずにふわふわしろといわれていたのだ。

「智、今日はお願い」
 水原が真剣な面持ちで滝野に頼んでいる。私は少し驚く。滝野は始め私が加わるのが余
り乗り気ではなかったらしい。それを水原が頼み込んで今日のセッティングとなったわけ
だ。
「別に嫌ってわけじゃないんだけどね」
 ココアを飲み終わると、滝野が私を軽く抱き寄せて言った。
「これはあたし達の遊びだし、途中でも榊ちゃんが嫌だったら、嫌って言って。ストレスためてまでやるものじゃなし」
「でも、私は榊の為に」
「よみは黙ってて」
 滝野の制止に黙りこむ水原。
「よみはこれで榊ちゃんが楽になるかも何て言ってるけど、これってただの遊びだから。
そんなに期待したり怖がったりしないで。ただのごっこ遊びなんだから」
 私は、訳がわからない。でも、どうする、やる? とたずねられたら我しらずこくんと
うなずいていた。なんだか流されていいかな、とか思ったのだ。

 だから今、ふわふわふわ、といいながら身体を動かしている。
 始めのうちは少し恥かしくて声が出なかったけれど、次第に普通の声くらいの大きさに
なって。ふわふわふわふわ。
 なんだか少しポーっとしてきた。


229 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《5》 投稿日:04/01/02 10:09 kVNl3quE
「あーお」
 水原が言った。
「あーお」
 水原が頭につけているのは、二年前の文化祭で使った猫カチューシャ。
 猫になりきっている。
 私の頭にもついている。猫カチューシャ。
 ほら、さかきねこも鳴いてごらん。
 なお、にゃお。
 もっとなりきっても平気だよ。ここにいるのは、猫が二匹いるだけなんだから。
 私はぴくっと反応してしまう。人の声がするから、見られてると感じるから。
 大丈夫だよ。あたしは空気と同じ。ほら、さかきねこ、ないてごらん。
 あお、あお、なお。私は鳴いてみる。
 なんのことはない。私達は猫の真似をしているのだ。

 このカチューシャをつければ猫になれるのだ。
 そういって差し出されたカチューシャを、どうして受け取ってしまったやら。正直、馬
鹿っぽい。でも素直にそれを受け取った水原は、さっさと頭につけて、照れくさそうに、
にゃんとないた。滝野は雰囲気作りをするらしい。CDから流れている音は南国の雰囲気を
かもす鳥や獣の声、時折太鼓の音。ぽんぽんぽがぽん。
 トイレだけは、すんなり人に戻っていいそうだ。なりきってしまえばまた戻るのも簡単
で、生理現象に動物は逆らえないから。しかし飲食は動物のまま。喉が渇いたら、猫とし
て水をねだる。猫として食す。猫として遊ぶ。

 私は、悔しかったのかもしれない。 
 空気みたいに必要としあって、でもあるのが当然、みたいな無関心もある関係。
 私には求められないその関係を築いている二人が羨ましくて、悔しくて。
 私はカチューシャをつけようかどうか迷っている。滝野は何もいわない。ただ温かく見
つめるだけ。こんな眼差しは、水原に似ている。
 私は二人の間に入りたい。
「……にゃん」私は鳴いた。滝野は笑った。



230 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《6》 投稿日:04/01/02 10:11 kVNl3quE
 猫になるにはどうしたらいいだろう。
 猫になるにはどうしたらいいだろう。
 にゃあ、か、にゃん、かどっちの鳴き声だろう。
 なーぉ、か、にゃーお、どっちの鳴き声だろう。
 水原は自由に遊んでいる。ごろごろ喉を鳴らしている。
 滝野の手からじかに煮干を食べている、さりさりの音。
 考えて考えて、極まって窮まって。
 煮詰まって、思いつめて、悩んで。

 私も、滝野の手から、煮干を食べたい。

「ほら、さかき。おいで」
 見透かされたみたいに、呼ばれてぴくんとする私。四つ這いのまま声の主の下へ。
 差し出された手のひらに頬を乗せてみる。すりすり。
 滝野のもう片方の手のひらが首筋を撫ぜる。すりすり。
「可愛いよ。さかき」
 耳元で囁かれて身体ぞくぞくってした。
 頭と頬と首筋と撫でられて、なぜかこぼれる涙。
 優しく滝野が抱きしめる、私。額に感じる滝野の柔らかな胸。
 考えなくてもいいんだよ、ただ感じるだけなの。
 起こされる私の頭、近づく滝野の顔。
 唇と唇ごしの、鳴真似の練習。

 部屋の片隅ではふーう、と言う息をつく音。水原が上下の服を脱いでる。
「にゃーお」
 次に鳴いた時は下着一枚で。頭の上の猫カチューシャはそのままの形で。
 這って近づいてくる、水原暦、今はただの猫。
 私は仰向けにされて喉をさすられて。服の上から乳房を撫ぜられる感触に心震わせて。
 私の頬にすりすりしてくる一匹の猫。
「にゃふ」私の口からこぼれる猫の声。猫の私の声。



231 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《7》 投稿日:04/01/02 10:12 kVNl3quE
布団の上でじゃれる猫ごっこ。よみちゃんが私の上ですりすりしている。
涙が出てから吹っ切れ始める、次第に次第に。
「ふなう」にゃおん。「ふーふー」あのうん。「にゃおん」にゃおん。
なう!
 思わずびくっとなる身体。よみちゃんの手が、シャツを捲ったから。
「なお? 」猫語で尋ねるよみちゃん、でも目だけは人に戻ってて。心配そうな気遣うよ
うな優しそうな瞳。
「いいんだ」
 思わず囁いてしまう、私の唇。
 いいんだ。かすれる声、微笑が浮かんで。
よみちゃんしゅき。
「わたしもさかきのことすき」
うんしょと上半身を脱がされて、露わになる肌。どうしよう、嫌じゃない。
 ねっとりと口付け。初めてなのに初めてじゃないみたい。

「あーあ、二人とも、猫度が足りないなあ」
少し上ずった声のともちゃんが近寄ってくる。上着をするりと脱ぎ捨てれば誰よりも猫
になる。「にゃーお」口と歯だけで器用にズボンを脱がす。歯で咥えてずるずると私のズボ
ンを脱がす。
 いつのまにか苗字じゃなくても平気になってる。
二人の指と舌を私の身体が受け入れてくように。
 ともちゃん、すきぃ。
「なーお」私の頬を撫でるぺろり。その目猫の目伝わってくる、大好きだよの目。
 肌と肌で感じあう指先唇の形。
 舐めて舐められて蕩ける心の奥の強張り。
指と舌で愛して、愛されてまた愛して。
すりつけて、すりつけられて小刻みに動く身体。なーお、なーお。
「あ…ぁはっ」初めてのともちゃんのミス。感じてる印。
 私の長い髪に絡みつく二人の弄ぶ手。
 一際高い猫の声。私の喉の奥からした。


232 名前:『猫ごっこのありふれた結末』《8》 投稿日:04/01/02 10:12 kVNl3quE
                    ☆

 髪をさっぱり切った。男の子みたいな坊主刈りだ。スポーツ刈りよりも少し長いくらい。触ってみると、ぞりぞりが楽しい。ぞりぞりぞりぞり、しばらく遊ぶ。
朝起きれば愛しの飼い猫は躊躇せずに胸元に飛び込む。可愛い可愛い。
新しい生活に慣れたのも、この短い髪のせいかもしれない。毎日が楽しい。
ちょっとおばかに、ちょっと魅力的になれたと思う。

「榊ちゃん、随分思い切ったね」
 ともちゃんが笑った。よみちゃんも笑う。ゴールデンウィーク、今日は三人でマジカル
ランドに来てる。
「榊、実習平気なのか? 」
 冷やかすようなよみちゃんの声。平気よ、だってまだやってないもんと答えてやる。
「榊ちゃん、ジェットコースター乗って、怖くなったら、あたしに抱きついていいからね」
「何いってんだよ。榊は私と一緒に乗るんだ」
「そうだよ。よみちゃんと私はラブラブなんだぞ」
 二人でぴとっとくっついて、頬をすりすりしてみせる。あー! ずるいずるい二人と
も!! この、でっかいの倶楽部!!
「でっかいの倶楽部だって」思わず笑ってしまう。
「じゃあおまえはお子様倶楽部の一員だな。まあちよちゃんはいずれこっち側だけど」
 なにおー、このー! まあまあまあまあ。あははははははは。
「今度は、みんなで来れたら、いいね」
 うなずく二人。私の愛しい人たち。
「じゃ、行きますか」ともちゃんが私の腰を抱く。
「そうしようか」よみちゃんが私の肩を抱く。
 顔が赤らむ。でも、もう隠さない。その素顔が露わになる。
「うん、行こう」私はにっこり微笑んで、二人の背中に手を回す。
身体をはたはたと駆け抜ける青い五月の風、ここちよい。
だから代わりばんこに、額にキスしてみた。



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