928 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/13 01:00 ID:8FKaskdZ
「……ちよちゃん」
消えそうな呟きを漏らす長身の女性に、
ちよちゃんと呼ばれた少女は右目だけをちらりと向けた。
清潔感を微塵とも感じさせない埃とシミに四方を囲まれた個室は、
まるで、二人を閉じ込める為の檻のようだった。

「……撃たれたって、どういうことだっ!?」
ほ乳類の解剖実習を明日に控えていた榊がそれを知ったのは、
石原動物病院の院長に相談を持ちかけた時だ。
首を絞めかねない勢いで組み付く榊の腕をそのままに、石原は続ける。
「ちよちゃんは………運が……悪かったんじゃ」と。
ちよちゃん――榊にとって大切な友達でもある小さな同級生は、
既に日本にはいない。
単身アメリカに留学し、今もどこかの大学で元気にやっているはずだった。
少なくとも、ちよちゃんからの手紙を幾度となく受け取っていた榊には、
それが現実であり全てなのだ。
だが、雪の降りしきる異国の大地を一人踏み締めて、小さな街の総合病院に
辿り着けば、希望なんてどこにも無いことを悟るのに十分だった。
ちよちゃんは―――いた。
ギャングの抗争に巻き込まれ、跳弾した悪意に右側頭部を撃ち抜かれながらも、
奇跡は彼女を殺さなかった。
まるで運命がそうさせたように、ちよちゃんは存在し続けてくれた。
「……ちよちゃん」
榊の声に、幼い少女の右目が揺れる。
麻痺した全身と自立呼吸の行えない口からは、もはや何もくみ取れなかった。
ただ、唯一意志らしき残骸を発する右目だけが、泣き出した榊をじっと見ていた。
たまらず合成素材の床に榊が崩れると、視界には鉄格子のはまった窓が覗く。
涙を介して見る外の雪は、薄汚れた部屋とは対照的に世界を白で生め尽くしていた。


23 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/14 21:04 ID:2Q7MytXL
「榊っ!! 要点だけ説明しろ! ちよちゃんがどうした!?」
よみは苛立つ指で眼鏡をかけ直そうとするが、
手の中でそれは、ぴしりと、割れた。
「…くそっ!」
悪態を吐いて壁に腕を伸ばすと、汗がベットリと掌を汚している。
そのまま膝を折ると、よみは、もう立ち上がれない自分に気が付いた。
ガチガチと震える歯をいさめようとした指の冷たさに、
目の前が真っ暗になったからだ。
「………よみぃ………私…どうすれば…………」
受話器の奥で嗚咽する榊の声が、ずっと、ずっと耳を離れなかった。
曇り硝子の外で、雪だけが静かに降っていた。

「……みんなには言ったのか?」
よみの言葉に、榊は俯いたまま首を横へ。
「…そうか」
榊から興味を上に移すと、カウントアップする電気の文字とモーター音。
エレベーターは13階を示すと扉を開けた。
よみがコートを脱ぎながら歩き出すと、榊が遅れて続く。
一つ一つ部屋番号を追いながら進むと、その足が1306号室で止まる。
――美浜ちよ様。
確認すると、張り詰めた息がよみの口から漏れる。
榊はそれすら見ようとせずに視線を逃がしていた。
そして、そんな友人によみは何も言わなかった。
「…入るぞ、ちよちゃん」
返答はない。
きっと、これからもないのだろうか。
よみはそんなことをぼんやりと考え、否定しながらドアノブを掴んだ。

それは、ちよちゃんを国内の病院に移した二日目の出来事だった。


51 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/15 14:56 ID:CBd7RkFS

悲報は突然だった。
遅い朝をベッドの中で向えた女の鼓膜を裂いたのは、電子の唄。
さもあれば、有名な怪盗マンガのオープニングが部屋中に鳴り響く。
そう、眠りへと誘われる者を日常へと引き戻すのは、いつだって現実だ。
女は目蓋を閉じたまま、薄く汗に濡れた掌で無造作に辺りを探ると、
枕元で明滅を繰り返す音の扉――携帯電話に辿り着いた。
それをうやうやしく操作する滝野智は、奇妙な視線に振り返る。
女は、淀んだ瞳を泳がせて――それだけだった。
春日歩――ともは大阪と呼ぶが――は、
中途半端に開いた瞳で夢の世界を覗いていた。
正直、ともは不気味だと思いながら携帯を耳に当てた。
懐かしい、声がした。

「……え? 後藤君が事故ったぁっ!?」
事故という言葉にともの眠りかけの意識が覚醒する。
――が、同時に後藤という人間に対し、彼女の脳はクエスチョンを連呼した。
「…って、誰?」
率直な疑問に、携帯のあちらがわで誰かのため息。
呆れと侮蔑のニュアンスが半々の遠まわしの叱咤。
だから、声のぬしである千尋がお見舞いの人選に後悔するのもすぐの事だった。
「わ、忘れてないって! あれでしょ、眼鏡かけた奴!」
「それ、大山君!!」



54 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/16 01:07 ID:6LbgzV8Z
「…どうしたん?」
意識の半分を夢の中に置きっぱなしの大阪が、ともの背中に覆い被さる。
「ん? 事故だって」
「ほー…大変やなぁ、ともちゃん」
脊髄反射で返す大阪に呆れながら、ともは毛布の端を手繰り寄せた。
自然とそれは二人の女を包むように宙を舞う。
「…なんやー、また寝るん?」
「課題も提出したんだし、一日くらい休んだってバチは当たらないって」
「そうやなー」
「そうだろ?」
「そうやなー」
「………そうか?」
「うそや」
「………」
ともはやっぱり学校へ行こうと決意するが、当の大阪が身体を掴んで離さない。
そして、そのまま胸の脹らみに潜りこんだ大阪は、
頬擦りするようにともの胸を弄び、
「…ともちゃんの胸、やっぱり大きなったなぁ」
臆面も無く言った。
「ち、ちょっと止めろよ!」
「なんでなん? 昨日はよろこんどったやん」
ぼむっと真っ赤になったともが大阪を本気で引き離しにかかるが、
ブラジャーを割いて侵入する指の方が早かった。
「お、大阪、やめ……………ぅん……」
ともの唇から小さく息が漏れる。
「綺麗やわぁ……。ともちゃんって意外にお肌すべすべやな」
「…い、意外とか…言うなよ……」
抵抗らしい抵抗も、いつしかその手の愛撫に消えて、
ともは顔を隠すように両の腕を組んだ。
「かわいいなぁ、ともちゃん。もちろんこっちもなー」
耳元で囁いてピンクのクレヴァスに指を這わせると、
ともはびくりと身体を震わせる。
「…ん………冷た……」
「うわぁ、もう大洪水や。ともちゃんってHなー」
「や……大阪……いい加減に……」
ともが慌てて股間に腕を伸ばすのを見計らって、
大阪は晒された友人の唇を目指し――奪った。
「んん! ………ん…ぅんん……」
「……ん、んん、ぷひゃー! ごちそうさまや」
交じり合った唾液を舌で艶かしく舐め取る大阪を、
ともは荒い呼吸の中、ただ、ぼーっと眺めることしかできなかった。
だから、二度目のキスはどちらとも無く求めていた。
獣欲の臭いが、世界を満たすまで……


60 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/16 16:55 ID:Iozqfrfs
「…さ、さささささ榊さんっっっ!!!」
珍しく昼食をマグネトロンに決めたおかっぱ娘――かおりんの選択は、
まさに神懸り的な幸運とも言えた。
マグネトロンセットを頼み、席を探した先に、
高校時代より憧れて慕い続けた長身の女性――榊の姿があったからだ。

「お久しぶりです、榊さん!!」
「…久しぶり、かおりん」
何か、居たたまれない表情を覗かせる榊だったが、
既にぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと、
かおりんに向き直るだけの勇気が涌いた。
「…昼食?」
「はい。ちょっと遅くなっちゃいましたけどね」
榊が店内の時計を見上げると、なるほど、長針はもう2時に周ろうとしている。
気付かなかったなと、榊はそう呟いた。
程なくして昔話に花が咲く頃になると、かおりんは頬を朱に染めながら、
夢見るように榊を見つめ、
榊もまた、かおりんとの会話の中で心の痛みを忘れられた。
それが偽りの安息だったとしても、十分だった。
「でも、ほんとに久しぶりですね」
今日何度目かのセリフに榊が苦笑すると、
かおりんはふと思い出したように一つ、訊ねた。
「そういえば大学、冬休みなんですか?」
地元を受けたかおりんとは違い、榊はこの街から遠く離れた大学に身を置いた。
理由なくこの場にいるのは不自然なのだ。
もっとも、かおりんにそれを勘ぐるだけの洞察力はなく、
純粋な質問――言葉のキャッチボールであったはずだった。
榊が、それを受け取るだけの余裕を持ってさえいればの話だが。
「………っ」
「…どうしたんですか?」
しかし、かおりんの疑問に答える者はいない。
俯き、肩を震わせた榊は泣きそうな顔で旧友を一瞥すると、
逃げるように店を走り出てしまったのだから。
「さ、榊さんっ!?」
慌てて榊に続くかおりんは、昼食を一口もしていない自分に気が付いたが、
もはや些細なことだった。
今は榊を追いかけることだけが、彼女の全てを占有しているのだ。
「榊さん! 待ってくださいっ!!」
雪降る街で、かおりんの追跡がはじまった。


99 名前: でっちあげ 投稿日: 02/07/21 20:09 ID:K21qRbFi
「………榊? おまえ榊か!!」
路地に飛び出した榊と共に尻餅をついたのは、色の強い肌をした短髪の女性。
榊の記憶を信じるなら、名は神楽。
彼女と同じ青春を謳歌した大切な友人の一人だった。

「…飲めよ。あったまるぞ」
部屋へと誘い、入れ立ての紅茶を両手に現われた神楽は、
屈託の無い笑顔でそう言って、一つを榊に伸ばした。
何の飾り気もない、白いカップだ。
榊が受け取ると、二人の間で湯気がゆらゆらと立ち昇っている。
それをただじっと眺めていた榊だったが、神楽に促され慌てて口にすると、
思うほど簡単に、ほろ苦い紅茶が喉を抜けていった。
ふと顔を上げれば、真っ直ぐな瞳が自分を見つめている。
視線に気付いたのか、へへへと頬を緩めた神楽の顔は、
あの懐かしき日々のままだった。
そして、榊にはそのことがたまらなく嬉しかった。
変らずにいてくれた友人が側にいて、
失わずに済んだ思い出が、手の届く所にあるのだから。
「ど、どうした、榊!?」
神楽に言われてはじめて、榊は自分が泣いている事に気が付いた。
頬を流れ落ちて床にシミを広げるのは紛れもなく彼女の涙。
それは榊の安堵や後悔をごちゃ混ぜにした無意識の逃げ場所だった。
沸き起こる理不尽と溢れ出る感情は突然の出来事に動揺する神楽を組み倒し、
その胸で声を張り上げた。
「神楽ぁ……わたし……私はぁ……うわああああああああぁぁんっっ!!!」
せきを切った激情が、二人の世界を支配する。
しかし、子供のように泣きじゃくる榊をいつしか神楽は抱き締めていた。
理由は、わからない。
ただ、触れ合う温もりに、神楽はぎゅっと胸が絞め付けられていた。
だから―――
「……榊」
一瞬を刻んで、優しい声が洩れた。
二人の唇は、静寂の中で次第にその距離を埋めていった。



時を同じくして―――
「うわーん、榊さ――ん!!! どこ行っちゃたのよぉぉぉ!!!」
泣きながら市内を徘徊するおかっぱ娘の姿が、街のいたる所で目撃されていた。




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