791 :ふたりのかたち (1) :02/11/27 22:54 ID:jcdyM5bB
 思春期を迎えてからも、神楽は男言葉を使い続けることを選んだ。
 そのような例外性を選ぶ事は当然、自己像の確定なしにはありえない。
 神楽は幼いながらにも理解していた――体を躍動させることを好み、直情的な外向性で他人と関わる、
そんな自分は「男のような存在」であるということを。
 ならば、私は自分にふさわしい言葉で話そう。自分らしさの証として。

 それだけに、自己像の中心にしていた運動能力における
女の劣位を認識したとき、その衝撃は大きかった。
様々な競技記録の男女比較は神楽に現実を突き付け、
そしてまた、神楽自身の身体は余分な脂肪を胸に蓄え、厄介な生理をも抱え込んで
所有者にハンディを与え始めた。
 決して行き着けない領域があるという失望感を、神楽は知った。

 しかし、神楽はそこで挫折はしなかった。
女子選手としては確実に、中学時代を通して周囲ではトップレベルにい続けられたからだ。
少なくとも、与えられた性の枠組みの中では頂点にいられるという誇りが
神楽の自尊心を支えていた。
――自分はどこまでも向上していける、そう信じていられたあの頃には――。


792 :ふたりのかたち (2) :02/11/27 22:55 ID:jcdyM5bB
 窓から差し込む光の中で、神楽は自分の首にもたせかけられた榊の腕をそっと持ち上げる。
しなやかで贅肉もなく、そして広い肩からすらりと長く伸びた腕。
神楽が誰よりもよく知るその身体は、とりわけ水泳に関して言えば完璧な理想体型だった。
重なるたびに自分の資質の限界を知らしめるこの身体を、
私はどれほど憎んだだろうな――もし、これほど愛していなかったならば。
 このままずっと接していたいという欲望を振り払って布団を抜け出しかけたとき、榊の声がした。
「……もう少し、一緒にいられないのか……?」
「ダメだ。そのままサボっちまいそうで……」しばらく怠っていたランニング。
再開すると決心したからには、もう自分に甘えは許さない。
「……気持ちいい事に浸かったまま、腐っちまったらおしまいだからさ」
「そうだな…すまない」言って、榊は身を起こした。自分だけ寝てはおかないということだろう。
「……ごめん。私も少しキツい言い方だったな」もう一度だけ、唇を重ねた。

 朝の風景を少し懐かしく思いながら、神楽は自らの走りに鈍りを感じ取った。
 一体、これを取り返せるだろうか……?
 いや、取り返す!そのぐらいのことをやれなくて、この先の向上も何もあるものか!
――女という枠組みの中でもやはり、自分は頂点には行けないだろうこと。
到達できる範囲にも限界があるだろうこと。それは高校時代、榊に教え込まれたことだ。
 だがそれは、自分なりの可能性の追求を怠る言い訳にはならない。
己を伸ばしていく事自体のあの最初の喜びに、虚心になって立ち返ろう。

 誓うよ、榊。私はもう、挫折を埋め合わせるためにおまえの愛を汚したりしない。
 だからどうか、天才のおまえと一緒にい続ける資格を許してくれ。

793 :ふたりのかたち (3) :02/11/27 22:56 ID:jcdyM5bB
「……まあ、これ以上の技術的な事はコーチに聞いてくれよ。とにかく、その気持ちでやっていけば
 必ず見えてくるものがあるって。保証するよ」
「はい、ありがとうございます!」テーブルの向かいの後輩は、神楽を本当に慕っているという風だ。
「…やっぱり、神楽先輩が一番相談しやすいです。努力家で、裏表がないって感じで……。
 みんなも言ってるんですよ、その辺の男よりずっとカッコいいとかって!……これって、怒ります?」
「いや……」まるで誰かみたいだな、と内心苦笑する。
もっとも榊にとってそういうイメージは不本意だったようだけど、
私にとってそれは、ありたいと願う自分の姿なのだ。
 そう、実際の男達がそうであるか、またそうであるべきか、という問題ではない。
私を律するのは、ただ私が考える規範としての「男」のイメージだ。
自分を磨き続け、決して困難に挫けず、率直に人と通じ合える、
そんな自己像どおりの自分であるというなら、男のようだと誇りを持って呼ばれよう。
「……先輩の彼氏って、何か尻に敷かれてそうですよね」後輩が笑って言う。
「ん…まあ、どうかな……」実際には、彼氏だと言ったことはない。
ただ今はまだ、同性だという事は伏せておきたかった。
 組んでいた足を直し、探られる前に切り上げて席を立とうとする。
「じゃ、私はここで。また何かあったらな…」
「あの、先輩…」後輩が、真面目な顔で言った。「…大会、頑張ってくださいね」
 神楽は微笑んで応える。「ああ。ありがとう」

 大会で飛躍的な自己新記録を出して上位に食い込んだ日の夜、
榊がかけてくれた「おめでとう」の一言は、
打ち上げの騒ぎ合いよりもはるかに神楽の心を癒した。
「信じてた。神楽のこと。――少しだけ、休んだらどうだ」
「ああ、確かにここんとこ、ちょっと気張りすぎたかもしんねえな……」
 そして神楽は珍しく、自分から榊の胸に身を投げ出した。
「だから今だけは、か……?」榊が優しく言う。
「ああ、全部おまえに任せる」神楽はつぶやいた。「……今日は思いきり、女にしちまってくれ」

794 :ふたりのかたち (4) :02/11/27 22:57 ID:jcdyM5bB
 榊は神楽の両脚を肩に高く担ぎ、その間につけていた唇を離しながら見下ろして言う。
「もうこんなにして。いやらしいな、神楽は……」
その低くて凛とした声で嬲られることに、神楽は強烈な羞恥心を掻き立てられる。
「そんな、こと……言わないで……」大きく開かれた自分の姿から目をそらしたいが、
見ていないとやめられてしまうのだと脅されていた。
 榊の男性的な立ち居振る舞いは、おおむね仮面の産物だと知っている。
けれども今この時は、その仮面に愛されていたい。
 不意に強い力で身体をねじられ、布団の上にうつ伏せにされる。
その乱暴さに動揺する神楽の肩越しに、榊がなおも嬲る。「……ほら、どうするんだ」
「そ、その……」神楽は恥じらいながらも、自ら女の部分を高く差し出した。
「榊…………して…………」
 榊が着けた仮の部位が、いつもの優しさとはかけ離れた強引さで突き立てられ、
神楽は大きく悲鳴をあげた。
 いつしか身体はすっかり榊に絡め取られ、乳房は榊の手にぐしゃぐしゃに揉みしだかれ、
そこには榊のそれ、耳には榊の舌、口には榊の指を挿れ込まれ、榊に侵入される歓びにすすり泣き、
神楽が媚びた嬌声に込め続けるのは、もっと、もっと与えて欲しいとの、はしたない懇願だけ。
 そして散々に卑しめられ、辱められた果てに、神楽は背を丸めた屈従の姿で震えながら達した。
握りしめるシーツの上には、薄くつけた口紅の跡が涙ににじんで残っていた。

795 :ふたりのかたち (5) :02/11/27 22:59 ID:jcdyM5bB
 翌朝も、神楽は怠らずランニングに出た。
 四肢の弾む心地よさ。自分のペースで身体を制御する充実感。感覚は完全に戻っていた。
 上機嫌で部屋に帰り、「いやー、腹減ったなあ」そう言ったそばから腹が鳴る。
「もうすぐだ」榊は、いつものしっとりした気品のある物腰で料理をしながら答えた。
 朝食を待つ間に髪をひと洗いし、乾かしながら毎朝のように手櫛で適当に整える。
榊があの長髪をいつも綺麗に手入れできる丁寧さが、神楽にはとても信じられない。
 後ろ髪にドライヤーを当てて見たとき、首筋に強く吸われた跡があるのに気づいた。
榊にしては随分な不注意だ。水泳のときにはごまかせそうにない――。
 顔を真っ赤にしてひたすらに謝る榊を、神楽は責めはしなかった。
「まあ、同棲してるのはもう言ってあるけど……やっぱ、これじゃ露骨だよなあ」
それから少し考えて、思いきって言った。
「……この際、露骨ついでに、もう女同士だってことも言っちまおうか……?
 私は…あくまで私はだけど……いつかは言うべきだと思ってるんだ」
 榊は否定をせず、しばらくして小さく頷いた。
 神楽は決意を噛みしめた。
「よし……認めさせてみせるさ。何も間違ってないんだもんな!堂々とやっていこうぜ!」
――そう、「男らしく」だ。
 張り切って目玉焼きにかぶりついた神楽に、榊が声をかけた。
「もし、みんなに認められたときには……気持ちの問題だけど、名前で呼び合うようにしよう。
 その…ずっと一緒に暮らすとしたら、当然だからな……」
「ああ…そうしよう」神楽は笑い、
そして、試しに呼んでみた。目の前の愛しい女の名を。
(了)


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