304 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/13 02:04 ID:QbEnfJSN
中学校のころ好きになった女の子がこの学校を受験すると聞いて、
ぼくは慌てて勉強した。
結局そのコは直前になって志望校のランクを下げ、
そのことに気づかないまま受験したぼくは、
あろうことか本来自分のレベルに見合わない高校に合格してしまったのだ。
親や先生は喜んでくれたけど、ぼくのこころは憂鬱だった。
なにせ好きな女の子も仲の良い友達も、ここには誰も来ないのだ。
ひとりぼっちで不安いっぱいのまま、僕は入学式を迎えた。

ちよちゃんで出会ったのは、そんなふうに入学して間もなくのことだった。
もちろんぼくは驚いた。
小6の妹よりも小さな女の子が、制服を着て歩いているのだから。
(後で歳は同じだと知ったが、どう見てもちよちゃんのほうが幼く見える)
「ど、どうして子供が?」
ぼくは驚きのあまり、つい声に出してしまった。
「…」
聞こえたのだろう。
ちよちゃんはこちらを振り向いて、
「あなたは一年生ですね?」
と言った。そして、
「わたしは美浜ちよ。2年生です。
 美浜先輩ですよ?」
と、かわいい声で言うのだった。
「美浜…せんぱい?」
おれは目を丸くしたままそう応えると、
ちよちゃんは「えへへ」と笑って行ってしまった。

314 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/14 22:00 ID:FyCSCkEA
まもなくぼくは勉強についていけなくなった。
部活も特にやりたいとは思わないし、まわりはアタマいいやつばかりで友達になれるイプとは違う。
みんないいトコのぼっちゃん・嬢ちゃんというか…だんだん本当に憂鬱な高校生活になってきた。
無気力な若者とはよく聞く言葉だけど、実際ぼくみたいなやつを指すのだろう。

たまに休みの日、中学の同級生と顔を合わせると、なんだか楽しそうにしている。
「バイク乗りたくていま教習通ってんだよ」
それも彼らは何人かでまとめて行ってるらしい。うらやましい限りだ。
「バイクか。…いいなぁ」
でも先立つものがない。それにぼくの場合、学校もバイクは禁止しているはずだ。
「ガッコなんか関係ねーべ?金はおまえ、そりゃアルバイトだよ」
「そっか」

ぼくが近所のスーパーでアルバイトを始めたのは、
そんなのもイイかもな、なんて思い始めたのがきっかけだった。

315 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/14 22:23 ID:FyCSCkEA
5時を過ぎ夕飯の支度で忙しくなるころ、学校を終えてバイトに入るのが日課になった。
時給は安かったけど兄の友人が勤めており、
多少コワイ先輩だが良くしてもらえたので働きやすかった。

仕事に慣れ始めたそんなある日の夕方、
ぼくが棚に並べる商品にバーコードシールを打っていると、
「あれー?」という子供の声が聞こえた。
振り向くと、なんだかちっちゃいコがこっちを見てる。

むこうもぼくの顔には見覚えはあるらしいが、なんとなくあやふやのようだ。
けれど、ぼくはすぐに思い出して、
「やあ、美浜せんぱい。お買い物?」
そう言うと、彼女もぼくのことを思い出して嬉しそうに、
「あ、一年生のひとですねっ」
と言ってニコリと微笑んだ。

316 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/14 22:41 ID:FyCSCkEA
「憶えててくれたんだすねー。
 ごめんなさい私わかんなくて…」
そりゃそうだ。あのときちよちゃんは自分の名前を言うだけ言ってさっさと行ってしまったのだから。

それから、ちよちゃんはぼくの名札に目をやって、
「佐藤さんて言うんですね。いつもここでアルバイトしてるんですか?しらなかった」
「最近だけどね。…てことは、ここにはよく来るの?」
「おうちが近いんです。ご飯の当番の日はいつもここに買いに来るんですよ」
ぼくはへぇっ、と声を上げた。

「せんぱい、家の料理つくるんだ。えらいね」
ちよちゃんはちょっと恥ずかしそうに、
「そんなことないですよぅ」
と、照れ笑いを浮かべて言った。

「うちの妹に爪の垢煎じて飲ませたいくらいさ」
ほんとうに同い年とは思えない。エライ違いだ。
「そんなー」
なかば本気で言ったのを冗談だと思ったのか、ちよちゃんはクスクス笑っている。
こうしていると、本当にタダの子供にしか見えないんだけどな。

「おーいジュニア。レジ頼むわ」
先輩に呼ばれ、ぼくはちよちゃんに「じゃ」と手を振って別れた。

317 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/15 00:28 ID:lgdEW5Eg
「妹…じゃねーよなありゃ。近所のガキか?」
レジを打ちながら、先輩が聞いてくる。
「ガッコの先輩ス」
「へ?」
間の抜けた先輩の声に、ぼくはちょっと吹き出してしまった。

そのうち、ちよちゃんがレジにやってくる。
「今日はなに作るの?せんぱい」
会計しながらそう尋ねると、
「活きのいいお魚さんあったから、キノコと一緒にホイル焼きにします!
 あとニラたまスープに、サラダも何か作ろうかなって」
「そっかー。頑張ってな。ハイおつり」
ちよちゃんは釣銭を受け取りながら「はいっ」と元気良く応えると、
「じゃ、ジュニアさんもアルバイト頑張ってくださいね」
と言って、苦笑するぼくにお辞儀をひとつして行ってしまった。

後ろで先輩の笑う声が聞こえたが、知らんふりすることにする。

331 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:49 ID:BbNlzX6r
そういえば、近所に「美浜」という大豪邸があったような気がする。
後で妹の話を聞くところによると、ちよちゃんはまさしくそこの令嬢で、小学校は妹と一緒だったと分かった。

「クラスは違ったからあまり話したことないけど…頭も性格もいいから、みんなに好かれてたよ」
「うん。ありゃいいコだ」
最初は面食らったが、優等生にありがちな鼻についた態度もなく、素直な女の子だと思った。
年上の男にちょっと先輩ぶろうとはしたけれど、嫌味はない。
「ちっちゃくて、かわいいよね!」
そんな妹の言葉に、
「かわいい。将来きっと美人になるね」
と、ぼくも頷いてみせた。

家も近く、バイト先や登下校の途中でもよく顔を合わせるので、ぼくとちよちゃんは自然と話す機会が多かった。
もしかするとクラスメイトよりも話すかもしれない。
ちよちゃんは最初は遠慮がちに僕を「佐藤さん」と呼んでいたのが、
慣れてくると「ジュニアさん」という呼び名が気に入ったのか、そんなふうに呼ぶようになった。
対照的に、ぼくはこのコを「せんぱい」と呼ぶことにした。
ちよちゃんも、そう呼ばれるのにまんざらでもなさそうだった。
それ以外は普通のタメ口で、別にちよちゃんを先輩として扱っていたわけではないが、
ちよちゃんとしても、ぼくを後輩というよりは近所のお兄ちゃんと見ているみたいだった。

332 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:50 ID:BbNlzX6r
夏休みが近づいたころ。
学校の帰り、忠吉さんと散歩するちよちゃんの姿を見つけ、ぼくは「おーい」と声をかけた。
「こんにちは!ジュニアさん。これからバイトですか?」
夕暮れに映えるレモン色のワンピースがいかにも夏らしい。
よく似合っている。
「うんにゃ、今日は休み。でも、この前の赤点の補習で居残りしてたから遅くなっちゃった」
ぼくは大人しい忠吉さんの頭を撫でながらそう言うと、ちよちゃんはちょっと頬をふくらませて、
「だめですよぅ。テストの時はきちんと勉強しなきゃ」
と言った。
「だいじょうぶ。バイトのある日は補習サボってるし」
「ジュニアさーん!」
ぼくは笑って、
「冗談、冗談。せんぱいの言うことは聞きますよ」
と、ちよちゃんの頭も撫でてやった。

「ちよちゃん」
ふと澄んだ女の人の声がした。
目つきはキツめだが、背が高くスラっとしていて、流れるような黒髪が印象深い美人だ。
ぴったりフィットするソフトジーンズにR.dのTシャツが、
スタイルの良い彼女のボディラインを強調している。
「あ、榊さん。榊さんもお散歩ですか?」
「うん。忠吉さんも一緒に」



333 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:51 ID:BbNlzX6r
ちよちゃんとの会話にはよく出てくるし、2年の榊先輩といえば有名だった。
綺麗で、頭がよく、スポーツも万能。学校中の男子が彼女を知らないわけがない。
遠目にも何度か見かけたことがある。
一見怖そうな人なのだが、ちよちゃんが話すにはとても穏やかで良い人だと聞いていた。
少し照れ笑いを浮かべながら忠吉さんの頭を撫でるその姿を見ると、分かるような気がする。
「あ、榊さん。紹介しますね」
ぼくはちょっとドギマギしながら、
「1年の佐藤です…あの、こんにちは」
と言うと、
「…ああ。どうも。榊です」
榊先輩はペコリと頭を下げた。
声に余り抑揚がなく表情も読み取りにくいので、確かにそういう人と分かっていないと怒っているようにも見える。
けれど、ぼくが感じていたのはそんなことではなく、
(…近くで見ると、本当に綺麗なひとだなぁ)
という事だった。
思わずポーっとしてしまう。

「ジュニアさん?」
「…あ、あぁ」
ちよちゃんにチョイチョイとYシャツの裾を引かれて、ようやく我にかえる。
「じゃ、せんぱい。またね」
手を振って別れようとすると、
「あ、私達のお散歩コースは公園のほうなんですよ。ジュニアさんと方向一緒です。
 良かったら、途中まで一緒に歩きません?」
「あ、うん。そうだね!そうしよか」
ぼくとしては、願ってもない話だ。思わず二つ返事で頷いた。

334 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:51 ID:BbNlzX6r
3人と一匹の散歩(ぼくは帰り道だが)は、思いのほか楽しかった。
もちろん、それはこんな美人と一緒に歩くことができるというところに尽きる。
「へぇ、榊先輩は二中出身なんスか。バイト先の先輩もそこなんですよ。
 吉崎サンって、先輩の2コ上だったと思うんスけど」
「知ってる。私が1年の時の3年だ。
 …ちょっと怖いひとだったな」
ぼくはあの榊さんが「怖い」なんて言うのがおかしくて、笑ってしまった。
「あはは。あのひと、高校までは色々やってたみたいですもんね。でも、すごくいい先輩ですよ。
 ちょびっと厳しいですけど」

「吉崎さんって、最初に『ジュニア』って呼んだひとですか?」
ちよちゃんが尋ねてくる。
ぼくは「うん、そうそう。あのひと」と頷いてから、すぐ榊さんの方に向き直り、
「いや、兄貴の同級生なんですよ。ぼく弟だから、Jr.なんです」
といって笑った。
「あ、吉崎さんのグループで一緒に居た『佐藤』て…もしかしたら『一平さん』のことかな?」
ぼくはちょっと驚いて、
「そう、そうです。一平はぼくの兄なんです。なんだ知り合いなんですか?」
と言うと、榊さんはやや困ったように言葉を濁す。
「いや…有名だったから」
「榊先輩だって有名スよ!」

335 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:52 ID:BbNlzX6r
そんなこんなで、楽しい時間が過ぎていく。
もう少しで公園とぼくの家の分かれ道なのが惜しい。
「…さん」
まぁ、榊先輩の家もこの近くだと言っていたし、縁があればまた話もできるだろう。
「…さんってば!ジュニアさん!」
「ん…どしたの?せんぱい」
ちよちゃんは怒ったような顔で、
「もう!いいですよーだ」
と言った。
「へ?」
しまった。榊先輩と話すのに夢中になって、ちよちゃんを放ったままだった。

「ごめんごめん、せんぱい」
ぼくはプイとそっぽ向いてしまったちよちゃんに、ちょっとおどけながらも手を合わせて謝った。
その瞬間、
「フギャアァッ!」
という鋭いネコの鳴き声がどこからか聞こえてくる。

336 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/17 07:53 ID:BbNlzX6r
「わ、びっくりした。…って、あれ?榊先輩?」
ぼくはあたりをキョロキョロ見回したが、どこにも先輩の姿はない。
「?」
「あ、また榊さんどこか行っちゃった」
ぼくは何が何だか分からず、
「え?榊先輩っていつも急に居なくなるの?」
と尋ねる。
「時々ですけど…ね。いつの間にか」

ぼくはホッと胸を撫で下ろし、
「良かったー。調子に乗って喋ってたから、嫌われたのかと思っちゃったよ」
と言った。
ちよちゃんはムッとして、
「知りません」
とだけ言って、ひとりでどんどん歩いていく。

「あー、だからごめんってば。無視したわけじゃなくて…せんぱーい。おーい」
特にちよちゃんをないがしろにしたわけではないのだが、本人はそう感じたらしい。
やはり子供は子供だ…
ぼくの声が聞こえないかのように、どんどん前へ歩いていく。
そうこうするうちに、ぼくの家と公園との分かれ道まで来てしまった。

「うーん」
ぼくは一瞬迷ったが、
(やれやれ…)
公園に向かうちよちゃんの後を追うことにした。

367 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:55 ID:cVWrcf3f
「おーい、せんぱいってば」
小走りになって追いかけるとちよちゃんは振り向いて、少し驚いたように、
「あれ?ジュニアさんのおうちって、たしかあっちでしたよね?」
と言った。
「ぼくもお散歩。一緒に行っていいかな?忠吉さんと」

ちよちゃんは「あはっ」と微笑むと、
「いいですよ。行きましょう」
と言った。

深い夕焼けの空だった。
ちよちゃんはそれを見上げて、
「うわー。綺麗ですねぇ」
と、素直な感想を漏らす。
目を輝かせながら大空の紅い雲に見とれていた。
ほんのり紅色に染まって見えるそんなちよちゃんのふっくらとした横顔が、
子供のくせに何だか妙に艶っぽくて、ぼくは少しドキリとした。

「ジュニアさんは…」
「ん?」
ちよちゃんは歩きながら、
「榊さんが好きなんですか?」
と尋ねてきた。

368 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:56 ID:cVWrcf3f
「そりゃ…綺麗なひとはみんな好きだよ」
ぼくは思わず笑いながら答えてしまった。
さっきの自分を思い出してみる。どうも自分らしくない気の張り方だったような気もする。
その照れ隠しでもあるのだが、
「まじめに答えてくださいー」
ちよちゃんの追求は手厳しい。
「だって、さっき初めて話したひとだよ?好きとかって…」
「じゃ、そういうんじゃないんですね?」

ぼくはちょっと考えてから、
「うーん、何て言ったらいいのかな。仮にこのさき榊先輩と仲良くなることがあっても、
 付き合ったりとかはないだろうね。
 やっぱり、先輩・後輩かな…良くてお友達。ぼくにはレベル高すぎるもん」
と言った。
「レベル?」
ちよちゃんは首を傾げる。
「あんな綺麗なひと、ぼくなんか相手にしてくれないよ」
卑屈になるつもりはないけれど、それが正直なところだった。

「そんなことないですよ!」
ちよちゃんは声を上げて言う。
「それじゃやっぱり、榊さんがジュニアさんのこと好きになったら、付き合うんですか?」
どうしたのだろう?いつになく今日のちよちゃんはやけに食い下がるな…
「レベルってのは、ぼくの方の問題でもあるよ」
「え?」
ちよちゃんの表情に合わせ、ぼくも真面目な顔になって言葉を続けた。
「…つまり、榊さんは美人でいい人なんだろうけど、
 綺麗すぎてぼくの方が緊張しちゃうってこと。それじゃ上手くいかないでしょ?」

369 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:57 ID:cVWrcf3f
それでやっと、ちよちゃんは納得したようだった。
「それで、喋り方がおかしかったんですね?」
あの時のぼくの様子を思い出し、「うふふ」と楽しそうに笑うちよちゃん。
ぼくは苦笑いしながら、
「そ。ああなるんスよ」
と言った。

370 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:57 ID:cVWrcf3f
公園に着いたころには、だいぶ日が暮れかかっていた。
話しながらなので、何となく時が経つのが早かった。
忠吉さんはもっと早く歩きたいのか、ウロウロと右に左に鼻を寄せて歩いている。
けれど、穏やかな性格らしく、決してちよちゃんの持つ綱をグイグイ引っ張ったりはしないのだ。
飼い主に似て、素直というか…人もとい犬の出来た犬だと思う。

「へー。せんぱいもバイトするんだ」
「夏の間だけですけど…今年は、ともちゃんと大阪さんも一緒なんです」
ちよちゃんがファーストフードの店員さんなんて、面白いような気もする。
「じゃ、一度顔出すよ」
と言うと、ちよちゃんは嬉しそうに、
「ええ、ぜひ来てください!」
と言った。

「そうだ。ジュニアさん夏の間アルバイト増やすなら、一緒にどうですか?
 休みの間は人手が足りないって店長さんが…」
そこまで言いかけてふと、ちよちゃんの言葉が途切れてしまった。
「…?」
足を止めたちよちゃんの視線の先には、
彼女と同い年か少し年下くらいの男の子たちが缶ケリで遊ぶ姿があった。
その向こうには、縄跳びをする女の子たちも居る。

371 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:58 ID:cVWrcf3f
スコン!
小気味の良い音とともに、空き缶が宙を舞う。
それを合図に、ワッと子供たちが散っていく。
「…」
ちよちゃんは何も言わず、しばらく無邪気に走り回る子供達に見入っていた。
(そうだよな…)
ちよちゃんは頭が良く、大人びたことも言うけれど、実際の歳はあんなふうに遊んでいるコたちと変わらないのだ。
今さらながらそのことを事を思い出すと、そんなちよちゃんの後姿が何となくか弱く儚げなものにもみえる。
これまで考えたことは無かったが、このコなりに無理をしているところだってあるのかもしれない。
周りはみな歳の離れた人間ばかりで、ふと寂しくなったり不安になるのは当たり前だと思う。

ぼくらは、ちよちゃんの満ち溢れる才能と持ち前の明るさにだけ目がいってしまいがちだが、
(忘れちゃいけないことだって、あるよな)
と思う。
彼女には彼女にしか知りえない孤独があって当然なんだ。
ぼくと違って歳に関係なく友達がいっぱい居るし、誰からも好かれているコだけど、
そのことを把握している人間が、はたしてちよちゃんの周りに居るのだろうか?
(そりゃ、居るだろうな)
けれど、それを察してやれる人間がひとり増えるのは、悪いことではないだろう。
(…優しくしてあげよう)
決心というには大げさだが、心のかたすみにそんな意識を持つようになったのは、
この時からだったと思う。

372 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:58 ID:cVWrcf3f
夏休みになってすぐ、ぼくは二輪の免許を取得するために自動車学校の合宿教習に入った。そのうえ免許を取った後、今度はバイクを買うための資金稼ぎにますますアルバイトに精を出す生活だったので、ちよちゃんとはその後しばらく会うことは無かった。
午前中はスーパーで、午後から夕方にかけては道路工事(結局、ちよちゃんの『マックで一緒に働きませんか』という申し出は、他のふたりへの遠慮もあって婉曲に断った)でというハードなスケジュールのなか、夏休みの宿題も放ったらかしでがむしゃらに働く毎日だった。

その間、ぼくにとって良いことがふたつ。
ひとつは、バイト先のスーパーで知り合った女の子と付き合い始めたこと。
もうひとつは、兄が大型に乗り換えるということで、今あるバイクを譲ってくれたことだった。
後者の方はいささか拍子抜けだった。
バイクのために汗水垂らして働いていたのに、急にその目標が無くなったわけだが、もちろん貰えるものはありがたく頂いておくことにする。

それは250ccの旧いバイクだったが、ノスタルジックな排気音とシックなデザインが実は以前から気に入っていたのだ。
車検がかからない分、維持費がわずかで済むのは高校生にはありがたい。
ぼくは嬉しくて、初めてできた彼女もそっちのけで毎日バイクで遊びまわった。

一緒に乗ってまわる友人に関しては、中学のころの同級生は多くが既にバイク乗りだったので、こと欠かない。
峠を飛ばす。
街を流す。
ひとりの時も、みんなの時も。
風を切る感覚や、移ろい行く景色。
街を出れば田んぼの匂い。山を登れば夏の草いきれ。
何もかもが面白くてたまらなかった。
(『夢中』って、こういうことを言うんだ)
ぼくはそんなことを考える。
今まで体験したことのないほど充実した日々。
そう。これまでそんなことを感じたことは皆無と言っていい。
まるで、自由の翼を手に入れた気分だった。

373 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 21:59 ID:cVWrcf3f
そんな夏休みも終わりのころ。
もう何度目になるのか分からないショート・ツーリングの帰りに、
ぼくはふとマックでバイトをしているというちよちゃんの話を思い出した。
(確か駅前だったよな…)
ぼくは友人達と別れたあと、ひとりその店の方へと向かう。

店脇にバイクを停め、メット片手に店に入る。
アルバイトがいつまでとは聞いていなかったので、まだ居るかどうか少し不安だったが、
ぼくは入店してすぐちよちゃんの姿を見つけた。
「あっ、ジュニアさーん。いらっしゃいませ!」
小さなちよちゃんはカウンターの向こうで頭だけのぞかせながら、それでもぼくの姿をすぐ見つけて声をかけてくれた。
あんな小さな子に合うユニフォームがあるんだ…

それにしても。
「か、かわいいなー…せんぱい」
ぼくは思わず声に出して素直な感想を述べる。
ちよちゃんは「えへっ」と、恥ずかしそうに笑う。
「なに?ちよちゃん知り合いなん?」
「1年生のひとですよー」
ちよちゃんに声をかけたひとが、おそらくちよちゃんの言ってた「大阪さん」だろう。
このひともかわいい。無論ちよちゃんとは別の意味で、だが。

374 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:00 ID:cVWrcf3f
「ん?」
店の奥に居る店員のひとりが、ぼくの顔を見て「あっ」と声を上げた気がして、
ぼくはいぶかしげな顔で向こうを覗き込んだ。
「ジュニアさん?どうしたんです」
「あ…いや。何でもない」
気のせいだったろうか?どうも見たことがあるような…

「免許とったんですね!でも、オートバイ気をつけてくださいよ?」
ちよちゃんは本当に心配そうな顔で、そう言ってくれた。
「ありがと。いつか機会があったら、せんぱい後ろ乗っけてあげるよ」
そんなこんなで2~3話しをした後、ぼくはチーズバーガーとポテトをテイクアウトにしてもらい店を出たのだった。


375 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:00 ID:cVWrcf3f
夏休みは終わり新学期が始まったが、ぼくは学校に行くのが憂鬱だった。
つまらなくて仕方が無い。
バイトをしているときの心地よい疲労感。
バイクを飛ばしているときの爽快感、充実感とくらべて、一体これは何だろう?
ここには未だに仲良くできる同級生も居ない。
要するに、合わないのだ。

…だが、せっかく入学したからには卒業したい。
「今どき、高校くらいは出ておくものさ」
という、高校中退で働いている兄の意見もあった。
ほぼそれだけの理由で、かろうじて出席しているにすぎない。
出席しても授業中は寝てばかりでテストの点も悪いので、クラスの中ではだんとつの劣等生だ。
嫌味な現国の教師には、「佐藤 寝太郎」という屈辱的なあだ名まで付けられる始末だった。
確かに極めて怠惰な学生だから、それも当然なのだろう。
(だけど待ってくれよ)
とぼくは思う。
彼らは…自分たちが、本当にやる気にさせてくれる何かを教えているつもりなのかよ、と。
そんな青臭いモヤモヤがずっと頭の中で渦巻いたまま、ぼくはこの時期を過ごしていた。


376 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:02 ID:cVWrcf3f
「ジュニアさーん」
風がやっと涼しくなり始めた頃、学校の帰りにちよちゃんが後ろから声をかけて駆け寄ってきた。
「やあ、せんぱい」
「今日はスーパーですか?」
「うん、7時から。今日も晩ゴハン当番かい?」
「はい!でも…ジュニアさんが7時からじゃ会えませんね…」
ぼくは「ちょっと遅いもんね」と言って頷いた。
ちよちゃんの家ではその頃には夕食で、9時ごろには寝てしまうそうだ。
そんなところはいかにも子供らしい。

ちよちゃんは何だかモジモジして何か言いたげだった。
「どうしたの?」
「あっ、あのっ…」
「?」
「その…明日って、明日もお仕事あるんですか」
明日は土曜日だ。
たしか夕方から入っている。そう答えると、
「に、日曜日は?」
と聞いてきた。
「ないよ。どうして?」
ちよちゃんはさらにちょっとうつむいて、上目遣いにぼくの様子を伺いながら、
「その…この前の話なんですけど…」
と言った。

377 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:02 ID:cVWrcf3f
「あ、バイク?」
そういえばマックに行ったとき、「後ろに乗せてあげる」と言ったような気がする。
ぼくは少し考えて、
「何も予定入ってないから、バイクでどこか遊びに行こうか」
と言った。
「本当ですかっ!?わーい!」
声を上げて喜ぶちよちゃんの姿を見ると、ぼくも嬉しくなる。
正直なところ、土日は彼女と過ごしたかったのだが…
あの夕暮れの公園でひとりポツンと子供達の姿を見ているちよちゃんの姿が目に浮かぶと、どうにもそうは言えなかった。

「けれど、意外だな」
ちよちゃんみたいなコが、バイクなんかに興味を持つとは思わなかった。
そう言うと、ちよちゃんは笑いながら、
「何です?『私みたいな』って」
「いや、だから…せんぱいみたいな良い子が、ってこと」
ちよちゃんはちょっと不満げに口を尖らせて、
「私、子供じゃありませんー」
と言った。

「いや、だから…優等生なのにってさ」
「それじゃ、ジュニアさんはー」
いつにないイタズラっぽい目で、ちよちゃんは尋ねてきた。
「不良なんですか?」
「えっ!」
「ともちゃん、ジュニアさんと同じ中学校だったそうですよ。
 『見たことある!』って」
(…ぼくを見て驚いたあの店員だ)
マックのでことを思い出す。あれが「とも」先輩か。

378 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:03 ID:cVWrcf3f
「ジュニアさんは、むかし悪い人だったの?」
「あー…」
ぼくは返答に困ってしまった。
別にわるぶっていたつもりも無いし、ヤンキー呼ばわりされるのは心外なのだが、
思い返してみると確かに悪ふざけが過ぎたこともある。
「とも」先輩からしてみれば、ぼくらは1コ下の悪ガキ集団だっただろう。
それでも殴り合いの喧嘩をしょっちゅうしていたとか、ひとを怪我させたというわけではない。
せいぜいが校庭で爆竹鳴らしたり、二宮金次郎像をエアガンの的にした、くらいの他愛のないものばかりだ。それで不良とは…

「あの…ジュニアさん?」
ちよちゃんは、恐る恐るといった感じで聞いてくる。
「ん?」
「怒っちゃいました?」
ぼくは慌てて、
「あ、違う違う!『どうだったのかなー』って考えてたんだ。
 それでね、やっぱり思った。ごく普通の中学生だったよ。
 ただぼくの友達がいろいろイタズラしてただけ」
実は校長室に掛けてある歴代校長の写真全てにチョビヒゲを描き加えたのと、理科室のガイコツ模型にモップの髪の毛を貼り付けてベートーベンにしたのはぼくなのだが、この際それは伏せておくことにする。
「ですよね!…あー良かった」
と言って、ちよちゃんは半ば本気で胸を撫で下ろした。
それはぼくが不良じゃないと聞いてのことなのか、ぼくが怒ってるわけじゃないということに対してなのか…
いずれにせよ、「とも」先輩からはろくな話を聞いていないのだけは確かだと思った。

379 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/19 22:04 ID:cVWrcf3f
「…けどね」
ぼくは言葉を続けた。
「今の学校は、まわりみんな頭のいいひとばかりで、ちょっと馴染みにくいのは確かだよ」
ちよちゃんはちょっと驚いた顔をして、
「え…そうなんですか?」
「あ、勿論せんぱいは別!頭も良いけど、性格も良いし偉いし話してて楽しい子だから…普通に好きだよ?」
ぼくは慌ててそう言ったのだが、
ちよちゃんは「えへへ…」と顔をちょっと赤くして笑った。
うん。こういう可愛いところが大好きなんだよな…
(大人になったらきっと、素敵なひとになるんだろうな)
そして、その応援はしてあげたいと思う。

ぼくらは日曜のお昼に公園で待ち合わせることにした。

401 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/20 20:30 ID:GZMDn/U+
家に帰ると、玄関に来客の靴が二組。
いずれも小さな女物のスニーカーで、すぐに妹の友達が来ているのだと分かった。
「おかえりー。にぃ」
居間の方から妹の声がする。
「ただいま」
ぼくがそう返事して、そのまま2階の部屋にあがろうとすると…

「こんにちは」
「おじゃましてます」
と、女の子がふたり出てきた。
「あ、どうも」
軽く会釈を返し、
(別段出てこなくてもいいのに、随分礼儀正しいコ達だな)
などと思っていると、
妹もポテチの袋片手にポリポリやりながら出てくる。
我が妹ながら、えらく行儀が悪い。

「学校の同級生の、みるちーとゆかちゃんだよ。6年生になってから、
 一緒のクラスになったの」
と、紹介してくれる。
このコ達とは初めて顔を合わせるのだが、なんだか聞いたことのある名前だ。
「ほら…この前言ってたちよちゃん。
 4年生まで一緒のクラスだったんだって」
「あ、そうか」
なるほど、小学校に居たころの仲良しの友達の名前が、たしかそんなだったような気がする。
とにかく、ちよちゃんは社交的で顔が広いので、
彼女の話に出てくる知人の名前はいくら憶えてもきりがなかった。


402 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/20 20:31 ID:GZMDn/U+
「あのぉ、お兄さんはちよちゃんと仲良しなんですかー?」
みるちーと呼ばれた女の子が、ぼくに尋ねる。
(…それにしても、ちよちゃんのまわりってカワイイ子ばかりだよな)
そんなことを考えながら、ぼくは答えた。

「うん、けっこう顔合わせるし、お話するね。…ふたりの名前もちよちゃんから聞いたことあるよ」
あさっては一緒に遊びに行くし…と、言おうとしたところで、
「きゃーっ!やっぱりそうなんだっ」
というふたりの黄色い声に遮られた。
みるちーとゆかちゃんは顔を見合わせて、嬉しそうにクスクス笑いながら、
居間のほうへ戻っていく。
「何あれ?どしたの………ッて、痛ぁっ!」
妹はこちらにつかつか歩みよったかと思うと、ドン!と思い切りぼくの足を踏みつけたのだ。

「なにスンだよっ!」
「知らないっ」
妹はものすごい剣幕でそう怒鳴ると、ドスドスと荒々しい音とともに居間へ入っていく。
(逆ギレもいいとこじゃないか…ッ!何だってんだ、一体)
おれはうずくまって、まだ痛む右足をさすりながら、ひとり何が何だか分からずにいた。

425 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 17:56 ID:++ohOnMu
日曜日。
ようやく涼しくなり始めた晩夏のそよ風に、
空の向こうでは飛行機雲が薄くたなびいている。
予報どおり、気持ちの良い絶好のツーリング日和だった。
天気に恵まれた日のバイクは、妙なくらい心が浮き立つものだ。
自然と顔がほころんでくる。
(きっと、いい日になるぞ)
街を流すぼくの胸は、そんな予感と期待に膨らんでいた。

11時の約束だったのが、ぼくは5分ほど遅れて公園に着いた。
公園の入り口でバイクのエンジンを停め、ヘルメットを脱いでいると、
「おはようございますー」
時間に性格なちよちゃんは、案の定すでに来て待っていたのだった。
少し厚手のジーンズに、白のパーカー。ピンクのラインが入った水色のスニーカーを履き、
それと小さめのディパックを背負っている。いつもよりややボーイッシュなスタイルだが、
ちよちゃんにはそんな服もよく似合っている。

「おはよう、せんぱい。遅れてごめん…待った?」
ベンチを立って駆け寄るちよちゃんに、ぼくは一言そう詫びるが、
彼女は少しも責める様子はなく、
「いえ、私もいま来たところですから」
と言ってニコリと笑った。

426 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 17:57 ID:++ohOnMu
「兄貴の所に、これを取りに行ってたんだ」
ぼくは後ろのシートにくくり付けていたゴーグル付きのヘルメットを外して手渡した。
「一番小さいやつ探してきたんだけど…被れるかな?」
「はい…ピッタリです!」
ちよちゃんはメットを被り、顎ヒモを締めて嬉しそうにそう言った。
サイズは丁度いいようだ。

「それと、これ。走りだすまではちょっと暑いけど」
ついさっきホームセンターに寄って買ってきた、SSサイズの皮手袋も渡す。
作業用ではあるが、その分スリムで動きやすいうえ手甲の部分が白地にピンクの柄入りで、
中々いいデザインだ。
バイク用の本格的なグローブは値段も高く、丈夫だが実は意外と使いにくいので、
ぼく自身もこの類の手袋を用いている。
「安全運転で行くつもりだけど、万が一ってこともあるから」
別に軍手でも良かったのかもしれないが、女の子にそれはあんまりだろう。

タンデム用のステップを降ろし、シートに跨ってからエンジンをかける。
「まず街をちょっとだけ走ってみよっか。
 怖いようだったら言ってね。その時は降りて映画でも見に行こう」
再びヘルメットを被りながらそう言うぼくに、ちよちゃんは笑って答えた。
「はい。…でも、たぶん大丈夫です。
 もう私、車とかジェットコースターとか…ちょっとやそっとのことじゃ怖いもの無いですから」
「?」
ちよちゃんの言うことはよく分からなかったが、まあ怖くないに越したことはない。
ぼくは「とにかく無理はしないで」と言って、バイクを立てサイドスタンドを上げる。

427 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 17:58 ID:++ohOnMu

…ゥオン。……オン!

2、3度軽くアクセルを吹かした後、アイドリングを確かめる。
走ってきたばかりなので、回転数はすぐに安定した。
「じゃ、乗ってみようか」
「はい!」
早速ちよちゃんはタンデムシートに跨り、腰をかける。
「ステップに足とどく?」
ぼくは普通に尋ねたのだが、後ろからは
「そんなに短くありませんよーだ!」
という答えが返ってきた。
それは何より。

「んで、走っているあいだ後ろの人は落ちないようにライダーにつかまる」
「…こうですか?」
ちよちゃんは、両手をぼくの腹の前に回すと、抱きつくかたちでギュッとしがみついてきた。

「あ…」

予期せず背中に押し付けられたものは、思いのほか柔らかい。
そのいきなりの感触に、ぼくは思わず声を上げた。
「あれ?……違います?」
ぼくは慌てて、
「あ、うん…いい。…いや違う!ごめん」
と、訳の分からない返事をしてしまう。

428 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 17:58 ID:++ohOnMu
「その…それだと運転するのに身動きとりにくくなっちゃうから、
 片手はシート横のタンデムバー握って、もう片方の手をぼくのベルトに」
ちよちゃんは言われたとおりの姿勢を取りながら、
「こうですか?…からだが密着できないとなんだか不安ですね」
と言った。
「いや、密着しすぎるのは危険」
「そうなんですか」
「そう」
(危険だよ)
ぼくはまるで榊さんと居る時と同じかそれ以上にドギマギしながら、
それを悟られないよう振り向きもせずそう答えた。

「そのかわり曲がったり加速・減速する時は、両膝でぼくの腰をしっかり挟んで。
 安定するから」
「こんな感じですか?」
腰の左右からちよちゃんの膝の力がぎゅっと込められる。
見かけもそうだし、実際ちよちゃんは小さくてほっそりしているのに、
こうして締め付けられると、意外にムチッとした女の子らしい太もものボリュームが感じられた。
「そ、そんな感じ。必要なときは合図で膝叩くから、そのときはこうして力いれてね」
後ろにちょっと目をやってぼくが言うと、ちよちゃんは「はーい」と元気の良い返事を返してくれる。
その笑顔がなんだか妙に眩しかった。

429 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 17:59 ID:++ohOnMu
それにしても。
このぺったんこの胸の一体どこに、あんなやわらかさがあるのだろう?
(ちっちゃくても、女の子なんだなぁ…)
初めてちよちゃんの身体に触れ、ぼくはそんなことを考える。
「ジュニアさん?」
「…え?ああ。大丈夫そう?」
「はい!何とかなりそうです」
それじゃ行こうか、と言って、ぼくはバイクを発進させた。

ドッ、ドッ、ドッドッドドドド…トトトト……

「わぁ…ッ!動いた動いた!」
ちよちゃんの楽しそうな声が聞こえる。怖がってはいない。
ぼくは後ろの様子を見ながら遠慮気味に少ずつ速度を上げるが、どうやら平気なようだった。
以前、彼女を乗せたときは怖がってしまって走るどころではなかったので、ぼくは少しホッする。
「よし、じゃまずは街を抜けてみようか」
「お願いします!」
公園から道路に出て、バイクを加速させた。

トトト…ォオオオオゥンッ!

ちよちゃんは軽いので、アクセルを捻ればひとりの時とそう変わりなくスムーズな加速ができる。
気持ちの良い風が通り抜けていく…
「気持ちイイですねーっ!」
背後からその風をくぐり抜けて、ちよちゃんの張り上げた声が微かに聞こえてくる。
「そうだろーっ!?」
ぼくもちよちゃんに聞こえるように声を上げて応えた。

430 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/23 18:00 ID:++ohOnMu
この爽快感を理解してくれる仲間が増えるのは、何とも嬉しいことだ。
ぼくはちょっと浮かれて、アクセルを捻る。
エンジンがそれに呼応して軽やかに吹けあがり、排気音も高らかにさらに加速していく。
ふと、腰のあたりでちよちゃんのニーグリップに力が入るのを感じた。
もっとゆっくり慣らしながらの方がいいのだろうか?などとも考えたが、
やがて周りのクルマの流れに乗って速度を一定にさせると、
「すごい。速い速い!」
というちよちゃんの声が再び聞こえた。

信号待ちでバイクを停め、ちよちゃんに振り返り「怖い?」と尋ねると、
ちよちゃんは素直に、
「はい、少しだけ」
と言った。
「でも、それ以上に…すごい、楽しいです!」
「良かった」
信号が青になり、バイクを発進させる。

目指すはぼくのいつものお決まりコースだ。
国道をしばらく真っ直ぐ走り、街を抜けて峠道に入る。
そのころになると、人も建物もまばらになり、すれ違うクルマも少なくなっていく。
やがて周りの風景が畑や田んぼばかりになったところで、十字路を曲がった。
小高い山々がいくつも連なり、ちょうど具合の良いワインディングコースになっているのだ。
その入り口あたりまで登ったところで、ぼくは自販機のそばにバイクを停め休憩を入れることにした。


445 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/25 02:52 ID:TEOClFYO
ぼくらはバイクを降り、ヘルメットを脱いだ。
ちよちゃんがうなじをそっとかきあげると、おさげを解いた髪が風に揺れる。
表情はあどけないけれど、普段見ることのないその仕草は妙に色っぽい。

「けっこう疲れたでしょ。腰は痛くない?」
そう言って、自販機で買ったオレンジジュースを手渡す。
2~30分ほど走っただけなのだが、初めてだと身体に余計な力が入るので、やたら疲れるものだ。
「いえ、全然。もう…何て言ったらいいか、とにかくすごくて。
 自動車や自転車とはぜんぜん違うんですね!」
ぼくは頷いて、
「景色の見え方もね」
そう言うと、ちよちゃんは「そう。そうなんです!」と、はしゃぐように答えた。


446 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/25 02:53 ID:TEOClFYO
自分で運転したことはないけれど、クルマの方がはるかに快適なのは確かだろう。
雨も風も入ってこない。
暑くも寒くもない。
荷物が積める。
人が乗れる。
オーディオだって聞けるし、タバコも吸える(吸わないけど)。
ロードスターやカブリオレでもないかぎり会話が風に遮られることだってない。
何より、バイクに比べれば段違いに安全なのは間違いないとは思う。

けれど、美しい景色に囲まれその風・その匂いに包み込まれていくこの感覚の前には、
そんなものが一体なんだというのか。

「ここにはよく来るんだ。兄貴が言うには、もう少しすれば綺麗な紅葉が見られるそうだよ」
缶コーヒーをすすりながら、周りの山々を指差してぼくがそう言うと、
ちよちゃんは「本当ですかっ!?」と、また目を輝かせるのだった。
「見物のクルマで混むらしいけどね。
 それでも良ければ、その時また連れてきてあげる」
「嬉しいです!」
ぼくはその笑顔に弱い。

447 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/25 02:53 ID:TEOClFYO
「そういえば…」
兄の話がでたところで、ちよちゃんは抱いていた疑問をふと思い出したようだ。
「ジュニアさんのお兄さんは、一人暮らしなんですか?」
榊さんのひとつ上ならまだ高校生なのに偉いですね、と屈託無く言うのだった。

「いや…」
兄はすでに社会人なのだが、おそらくちよちゃんの世界というか常識では、
中学を出たら高校に入り大学へ行くのが当たり前なのだろう。
ぼくはあえてそのことには触れず、
「兄貴は親父と住んでるんだ。ぼくんち親が離婚してるから」
とだけ答えると、
ちよちゃんは、「あっ」という顔になって、それからすぐすまなそうに、
「あの…ごめんなさい」
と言った。
その表情が、みるみる泣き出しそうになっていく。

「いいって!ぼくは全然気にしてないから。…な、泣くことないじゃん?」
ぼくは慌ててそうなだめようとするが、
一旦動き始めてしまった感情の流れを変えたりせき止めたりできる程、ぼくは上手ではなかった。


448 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/25 02:54 ID:TEOClFYO
「さあ出発しよう、出発!もう充分やすんだし。
 この峠をもう少し上ると眺めがいいんだ」
しめっぽいのは苦手だ。
ぼくはちよちゃんが大粒の涙をこぼす前にそう提案して、
わざとらしく空き缶を自販機脇のボックスに突っ込んだ後、バイクに跨りセルを回す。
エンジンは再びドッ、ドッ、ドッという単気筒の心地よいビートを刻み始めた。

「せんぱい…」
ちよちゃんがバイクに乗った後、ぼくは後ろを見ずそう声をかけると、
返事のかわりに「…グスン」という鼻をすする声が返ってきた。
「もう信号待ちも追い越しも無いし、ゆっくり走るから…
 しがみついていていいよ」
ちよちゃんは何も言わず、後ろからぼくの身体に両腕をまわしてギュッと抱きついてきた。

公園でも触れたあのフワリとした柔らかさがはたして背中にくすぐったかったが、
それ以上に嗚咽をあげるちよちゃんの身体はやけに温かいと思った。

ちよちゃんにしてみれば、身の回りにそんな話があること自体、初めてだったのかもしれない。
驚きもあっただろうし、何より自分の無神経さ(実際そうでもないのだが)が許せないのだろう。
ぼくにはむしろ、そんなちよちゃんの賢さの方がよほど痛々しかった。

504 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/29 00:30 ID:j7Yd6IoD
速度を落としたので、峠を上りきるのにだいぶ時間がかかってしまった。
ちよちゃんが、嗚咽が止んでからもしばらくの間ぼくにしがみついたままだったからだ。
日曜の昼過ぎということもあり、
普段は人気の無いレストハウスの大きな駐車場にも何台かクルマがとまっている。

「着いたよ、せんぱい」
ぼくはレストハウスの前にバイクを停め、後ろに声をかけた。
「はーい」
目は少し赤かったが、いつも通り明るい声のちよちゃんだ。
ぼくは安心して、思わずヘルメットを取った彼女の頭をわしわしと撫でた。
「わぅ」
ちよちゃんはちょっと驚いたように声をあげた後、
恥ずかしそうに肩をすくめてみせた。

「ここには来たことある?」
バイクを降り、メットをふたつホルダーにくくりつけながら、ぼくはちよちゃんに尋ねた。
「いえ、ないですよ。
 あ、でも…自動車で通り過ぎたことは何度かあるかもです」
「なら良かった。ここはぼくのお気に入りの場所なんだ。
 そこの小道…」
レストハウスの脇にある砂利の小道を指差し、
「5分くらい歩くけど、いいかな?」
と言うと、
「ええ、もちろん。ジュニアさんのお気に入りの場所なら、きっといい所です」
と、ちよちゃんはニコリと微笑んだ。
「でも」
ちょっとおトイレ、と小さな声で呟くように言ってから、彼女は足早に建物に入っていった。
オレンジジュース350ml缶は少々多かったようだ。

505 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/29 00:30 ID:j7Yd6IoD
レストハウス脇の細い小道を歩いていくと、やがて小高い丘の前に出る。
粗末な木板が階段状に敷かれている以外、ほとんど人の手は入っていない。
まさに知る人ぞ知る丘だった。
階段を上がり一際高いその場所に来ると、ちよちゃんは「わぁっ!」と驚きの声をあげた。
「きれい…街の姿があんなに!」
そう。
ここはぼくの知る中では一番眺めの良い所だ。
ぼく達の住む街が眼下に一望できる上、その周囲には遥か向こうまで連なった山々の青い姿が見渡せるのだ。
なによりこの場所自体、緑という緑に囲まれ爽やかなそよ風が吹いている。
それは普段コンクリートに囲まれ排気ガスを吸い、消毒された水を飲んで暮らしているぼくらにとって、
身近に残された最後の自然なのかもしれない。

目を細め遠くを見入っているちよちゃんの髪がサラサラと風に揺れた。
ぼくにはそれがとても綺麗に見え、「連れてきて良かった」と改めて思う。
「ここに来るとね…」
「はい」
ぼくはいつになく多弁になっていた。
「こんなふうに自分の住む街を見下ろして初めて、あそこが自分の住んでる場所なんだなーって実感するんだ。
 ひとの住んでる場所なんて、ほんとに小さなトコでしか無いんだよね」
ちよちゃんは黙って頷いた。

506 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/29 00:31 ID:j7Yd6IoD
それからぼくらはしばし無言のまま景色を眺めていたが、ふいに「くぅ」と可愛い音が耳に入る。
ぼくは聞こえないふりをしていたけれど、ちよちゃんはぼくを見て「てへ…」と恥ずかしそうに笑った。
「お腹空いた?レストハウスの方に戻ろうか。
 あまり美味くはないけど、山の景色見ながら食べれるから」
するとちよちゃんは、
「ここでお弁当食べませんか?実は今日作って来たんですよ」
と言って、背負っていたディパックを下ろした。

「え…ボクの分も!?」
「もちろんです!…いけませんでした?あまり自信は無いですけど」
ディパックから取り出したのは、大小ふたつの弁当箱に魔法瓶だった。
ぼくは思いがけない嬉しい不意打ちに驚く。
「いや、ぜひ頂くよ。…感激だなぁ」
ちよちゃんは顔を真っ赤にして、
「そんな風に言われると、ちょっと恥ずかしいです」
と言ってまた笑った。

「いいね。ここで食べるのは…ナイスだよ」
ちょっとちぐはぐなぼくの発言に彼女は「そうですね」と頷いた。
「じゃ、座って食べましょう」
用意のいいことに、
彼女のディパックには野外でも座って食べられるよう小さなビニルシートまで入っていた。
ぼくが「ドラえもんみたい」と呟くと、
ちよちゃんは「えっ!?」と言って両手を自分のほっぺに当てる。
ぼくは思わず吹き出して、声を上げて笑った。

507 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/29 00:31 ID:j7Yd6IoD
この溢れる緑の真ん中で、ぼくはちよちゃんの横に腰を下ろして弁当を開ける。
フワリと弁当独特の香りが鼻腔をくすぐった。
「あ…」
一目見て、ぼくはそれが中々に凝った弁当なのに驚いた。
まずご飯の上には牛肉のそぼろに甘口の卵が振り掛けられ、
2者の境界に沿って細切りのインゲンが添えられている。
おかずはアスパラのベーコン巻きに白身魚のフライ、
ポテトサラダの上にもパセリのみじん切りが少々散りばめられ見栄えが良い。

「へぇっ、美味しそうだ。いただきます!」
ぼくはまずそぼろご飯を口に運ぶ。子供っぽいけど、弁当に入ってると嬉しいんだよなコレ…
「これは美味いや!」
程よく煮付けられた甘口の牛肉は、噛むと旨みを充分に含んだ肉汁が溢れ出て具合が良い。
そぼろだけでなく、どの料理も見た目だけのものではなかった。
一品ずつ口に運ぶたび、ぼくは「へぇ」とか「ほう」とか声を上げる。
最後には、
「そんなに言われたら恥ずかしいですってば」
とちよちゃんに言われる始末だった。けれど、そういう彼女の顔も褒められてまんざらでもなさそうだ。

508 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/29 00:32 ID:j7Yd6IoD
子供とはいえ、こんなのも女の子と遠出する醍醐味だな、などとぼくは考える。
男のツレが弁当なんか作ってきても、気持ち悪いだけだもんな…
ぼくは瞬く間に、量は決して少なくないその弁当を平らげてしまった。
「あの…良かったらこれも食べます?」
と言って、ちよちゃんは自分の半分ほど残っている自分の弁当を差し出してくれるが、
さすがにそこまで図々しい顔はできなかった。
「いやぁ、美味くて一気に食べちゃったよ。…もうおなかいっぱい」
と言って、ぼくはプラスチックカップに注いだ魔法瓶のお茶をすする。
正直、この弁当なら2、3個は食べられそうだった。

(それにしても)
と思う。
同じ女の子でこうも違うものだろうか。おそらくちよちゃんは出来すぎなのだろうが、
同い歳とはいえ小6の妹はともかく、せめてぼくの彼女には少し見習って欲しいところだ。
比べてはいけないのだろうが、ともあれたまにでいいから手料理を食べさせてもらいたい。
嬉しいものは嬉しい。男とはそういうものだ。
(この先、ちよちゃんはどんなコと付き合うのかな)
いつのことになるか分からないが、きっとお相手はいいオトコだろう。
ちよちゃんなら、きっと上手くやれる。
少し遅い昼食のあと、ぼくはそんなことを考えていた。

                   (続く)

513 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:54 ID:yyCj/zq3
街に帰り着くころには、もう夕方になっていた。
近所のはずだが道順が定かではなかったので、後ろのちよちゃんに教えてもらいながら美浜邸を目指す。
カラスが2・3羽夕焼けを横切った。彼らも家路を行く途中だろうか。
山の空気を充分に堪能してきた帰り、未だ続くその余韻のなかで、
ぼくはこの日曜日が良い一日で終わると疑いもしない。
最後の最後にあんなことがあるなんて、夢にも思ってはいなかった。

改めて目にするちよちゃんの家は、記憶にあやまたずとてつもない大豪邸だった。
「今日はずっといい天気で良かった」
「ええ、本当に…ジュニアさん、今日はありがとう!」
ちよちゃんはタンデムシートを降りメットを脱ぐ。
「それじゃ、また…」
という別れ際、ぼくの携帯電話が鳴り響いたのだった。
付き合っている彼女からだ。
ぼくは一瞬どうしようか迷ったが、一度出て「ごめん、家についたらかけ直すわ」と言って切った。

「お友達ですか?」
と、ちよちゃんはなぜかどことなく神妙な顔で尋ねた。
ぼくはポケットに携帯をしまいながら、別段隠すこともなくごく普通の調子で、
「ああ、彼女からだよ」
と答える。

514 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:55 ID:yyCj/zq3
「えっ!?」
ちよちゃんは目を丸くして声をあげた。
「そんなに驚かなくても…」
苦笑しつつ「ぼくだって、彼女くらい」と言おうとしたところで、
ちよちゃんは今にも泣き出しそうな声で、
「嘘つき…」
と言った。

「なっ!」
今度はぼくが驚く番だった。
「う、嘘って…ぼくが?」
ついただろうか?だがその一瞬では自分がどんな嘘をついたのか、皆目見当もつかなかった。
けれどちよちゃんは唇をキュッと噛んで、また大粒の涙を目に溜めている。
「ジュニアさんなんか…」
震える声を押し出して、ちよちゃんは言った。
「せんぱい?」
「先輩じゃないです!…ジュニアさんなんか、大っ嫌い!」

「あ…」
あまりにも突然のことで、呼び止めることも出来なかった。
ちよちゃんは一目散に家の門に駆け込み、扉を閉めてしまった。
後に残ったぼくは、半ば呆然として閉ざされた扉を見つめていた。
ぼくには全く、何が何だか分からない。

515 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:55 ID:yyCj/zq3
「にぃはどうして彼女が居るって黙っていたの」
家でその事を話すと、妹は思いもかけないところに絡んできた。
「え?だって、そんなこと…」
いちいち話すもんかな、と言うと、妹は生意気にも深いため息をひとつついて、
「可哀そうなちよちゃん」
と言った。

その日の晩、この家ではめずらしく家族そろっての食事になった。
カメラマンの義父は、フリーだが休日ですら仕事で家に居られないほど忙しい人だった。
普段どちらかといえば事務所で過ごす時間の方が長く、家には寝に帰って来るようなものなのだが、
この日は大事な話があるとかで早めに帰って来たのだという。
その話とは概ね次のような内容だった。

来年度、仕事の関係で渡米することになった。
何年間向こうで暮らすことになるのか分からないが、
N.Yの新聞社との契約上少なくとも1年以上は住むことになる。
ともかく母は義父について行く。
さて、ぼくと妹はどうしようか、と。


516 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:56 ID:yyCj/zq3
いきなりの話だったので、さすがにぼくは即答しかねた。
「保留」
少し考えさせて欲しい、と言うと、義父は「いずれ向こうのハイスクールに転入するにしても来年の9月からだから、
ゆっくり考えてくれ」と、いつも通りの穏やかさで答えてくれた。
「まあ、あんたはせっかくイイ高校に入れたんだし、確かに少し勿体無いかもね」
という母の言葉に、ぼくは一応頷いてみせたが、実を言うとそれは大した問題ではない。

「私は行くよ」
妹は一もニも無くそう言って、「面白そうだし」と付け加えた。
ぼくも妹が行くことには賛成だ。
ジュニア・ハイへ入学するのに区切りとしては悪くないし、何より年齢的にまだ親元に居るべきだと思う。
ぼくとは違い義父のことも素直に慕っているので、何も問題は無いだろう。

だが、ぼくの方は複雑だった。
この家族でのこともあるし、来年からでは先ほど義父が言ったとおり転入という形になるだろう。
そういった環境の変化というやつはいかにも面倒臭そうだ。
(それに)
ぼくにだって別れ難い人達が居る。
気恥ずかしくて口には出せないが、それも正直なところぼくには一大事だった。
だから、母がその次に口にした「いいじゃない。高校、友達居なくてつまらないんでしょ?」
という軽口が、ぼくには妙に腹立だしく感じられるのだった。

別れ難いひと。
…ふと、ぼくの脳裏にちよちゃんの幼い笑顔がよぎった。

517 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:57 ID:yyCj/zq3
その一週間後、ぼくは彼女と別れた。
正味3ヶ月。初めてできた彼女との付き合いは、実にあっけない幕切れに終わった。
「好きな人ができたの」
ということだった。
最初彼女は話したがらなかったが、よくよく話を聞いてみれば以前付き合っていた男が「よりを戻したい」と言ってきたのだという。
ぼくは「そうか」と言って、二度と来ることは無いであろう彼女の部屋を後にした。
ドラマや映画の世界ならもっと上手いことが言えるのだろうが、その時のぼくには涙も言葉もない。

急なことで現実感が湧かないだけだったのかもしれない。
なにせその日その時彼女と話をするまでは、元の彼氏と連絡を取り合っていたなんてことも知らなかった。
その男が吉崎さんだとを聞いた時、ぼくは本当に何も知らなかった自分自身に思わず笑ってしまった。
けれど最後に彼女がぼくに言った言葉だけは、今も胸に突き刺さっている。
「冷たいのね」
相手の身勝手さに失望するばかりで、彼女にとって自分がどれほど酷薄だったのかが分かるほど、
その時のぼくは大人ではなかった。
ただ、確かにぼくの心の中で何かが急速に冷めていく感覚はあったように思う。


518 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:57 ID:yyCj/zq3
その後も、ぼくの生活はなんら変わりなかった。
それまでどおり憂鬱な学校の後の夕方にはバイトに行き、
吉崎さんや元カノとも顔を合わせ会話もする(ぼくに他意は無く会話は仕事の内容に終始したが、案の定彼女はすぐ辞めてしまった)。
バイトが終われば夜の峠を飛ばしにいく。
明け方ごろ帰り着き、床に入る。
休日は遠出の日だ。
友人となら(今思うとゾッとするような)レースまがいの勢いで山道を走り、ひとりならのんびりとツーリング先の景色を写真に撮ってまわった。
それなりに忙しい日々が続いた。

だが、その実ぼくはポッカリと穴が空いたようになっていた。
何もかも地に足が着いていないように感じる。
いや、足を着ける地が見当たらない、と言うのが正しいかもしれない。
自分の居場所が、ひとつひとつぼくを置いて消えて行くようだった。
(ぼくは、そんなにギスギスしているだろうか)
その晩もいつもどおり暗い峠道でバイクを走らせながら、ぼくはひとり考えていた。
一体こうならなければならないほど、ぼくのしてきたことは他人を跳ね除け続けてきたのだろうか?と。

519 :ちよちゃんとぼく。 :02/10/31 02:59 ID:yyCj/zq3
半ばどうでもよくなっていた。
「自暴自棄」と言うほど荒れているつもりはなかったが、それに近いものがあった。
徐々にコーナーを駆け抜けるスピードが上がっていく。
(いっそ…)
このまま消えてしまえば。
嘘みたいな話だが、それは丁度そんな思考が脳裏を掠めた時だった。
何か黒いものが勢いよく目の前に飛び出してきた。

その瞬間、ぼくの身体は紙切れのように宙を舞う。

「ドン」という強い衝撃の後アスファルトに叩きつけられるまでの間、
ぼくがその一瞬で思い浮かべたのは、家族でも走馬灯でもなく、
ちよちゃんのちょっと怒った顔だった。
(あ…)
その時になって、やっとぼくは思い出した。
あの時はほんの軽口のつもりだったけど、そういえばちよちゃんに言ったんだっけ。
「好きだよ」
と。

…後のことは、よく憶えていない。

599 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:29 ID:UDpMyYgI
あんな速度下の転倒で、ぼくはてっきり死んだものと思ったが、
道路にはぼくのタイヤマークが十数メートルついていたというから、
あの一瞬で無意識のうちにフルブレーキをかけていたのだろう。
人間の本能とか反射神経というやつは案外バカにできない。

それにしても、転倒してから救急車が来るあたりまでの間ぼくにはまるで記憶が無かった。
ぶつかった前後のこともほとんど憶えていない。
後から聞いた話によると、あの黒いかたまりの正体は脇道から出てきたクルマだったそうだ。
地元の爺さんが運転していたとかで、衝突した直後クルマから降りて駆け寄った時は意識もあり、
「大丈夫だが、動けない」という旨のことを言ったらしいのだが、きれいさっぱり抜け落ちていた。
動けないのなら、決して大丈夫ではないような気もする。

もし自分があの時死んでいたとして…
あの痛くもツラくも悲しくもない空白の時間がそのまま永遠になっていたのだと思うと、
生きていて良かったと思う反面、まあ死ぬのも大して恐ろしいことではないのかもしれない。
特に死にたい理由もないので、それが分かったからどうだというわけでもないのだけれど。

とにもかくも、ぼくの損失はバイク一台とヘルメット、お気に入りのブルゾンのほかは、
右の脛骨、左の尺骨骨折と肋骨2本にヒビが入った程度で済んだ。
学校側からは停学一週間の処分を喰らったが、
もともと入院が2~3週間かかるそうなので、あって無いようなものだ。
それよりも卒業までの免許没収の方が手痛かったのだが、
その事を母に言うと「ばかたれ」という言葉が勢い良く帰ってきた。

600 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:30 ID:UDpMyYgI
あんな乗り方をした報いとしては、幸運な方だったかもしれない。
もっとも、事故の主因はクルマを運転していたお爺さんの左右確認の怠りということで、
向こう側から持ち出された示談ではこちら側の責は一切を問われなかった。

そういった事後処理は事故を起こしてから後々のことで、話は少し前後する。

救急車で病院に運び込まれ検査と治療を受けていると、真夜中にも関わらず兄が飛んで来てくれた。
ぼくは麻酔で朦朧としながら、
「ごめん兄ちゃん。せっかく貰ったバイク潰しちゃった」
「あほう。弟が事故ったときに、バイクの心配する兄貴がいるか」
兄はそう言って、怪我が命に別状がないことを確認すると、傍らに居る母と2~3話しをして帰ってしまった。
そこまでは記憶しているのだが、この麻酔というやつはどうにも悪酔いするらしく、
またすぐに眠りに落ちてしまった。

それからぼくは余程長いこと寝たままだったらしい。
途中、朝食と昼食で看護婦さんに起こされ、イヤイヤ起きたのは薄ぼんやり憶えている。
何を食べたかはよく分からない。
入院食のまずさを初めて知ってげんなりしたような気もするが、とにかくその日はずっとそんなふうだったので、
昼下がりに妹が見舞いに来てくれたことも分からなかった。

601 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:30 ID:UDpMyYgI
まどろみの中、ぼくは夢を見ていた。
いきさつは知らないが、ぼくはどん底に居るという設定だった。
その夢ではぼくは幼い子供で、井戸の底から出られずにひとりぼっちで泣いているのだ。
いや、それは夢ではなく、今の自分をそう思い浮かべていただけなのかもしれない。
「ああ…」
ぼくは井戸の出口を見上げて、ひたすら誰かが引き上げてくれるのを待っていた。
自分でよじ登ろうなどとは考えもしない。
助けを呼ぶ声をあげる元気すら無く、こみあげてくるまま涙を溢れさせていた。

「ん?」
ふいに、誰かの声が聞こえたような気がした。
ぼくは助けが来たのかと思い、自分の嗚咽をおし殺して耳を澄ませた。
声はそれ以上大きくならなかったが、不思議と孤独感はもう無かった。
そのかわり、どこかで感じた柔らかさと温かさを胸に感じていた。
誰の声だろう?
何を言っているんだろう?
ぼくは目を閉じ全神経を耳に集中させた。

「…さい」
え?
「…ごめんなさい、ジュニアさん。ごめんなさい…」
「あ…」
そこでぼくは目を覚ました。
ぼくは元通り病室のベッドで横になっている。
そこには泣きべそをかいてぼくの身体に抱きついているちよちゃんの姿があった。


602 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:32 ID:UDpMyYgI
ぼくはまだしばらくボーッとしていたが、やっと事態を把握して、
「……………やあ、ちよちゃん」
と、声をかけると、
「えっ!?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったまま、ちよちゃんは驚きの表情で顔をあげた。

「おおげさだな」
ぼくがそう言ってちょっと笑うと、
「生きてた…ジュニアさん生きてた!」
と、ちよちゃんは飛びつくように再び抱きついてきた。
「良かった!良かったよう。ジュニアさん…うぅ」
「イタタ…ちよちゃん、ちょっと…そんなに強くされたら居たいよ。
 そこ、ヒビ入ってるんだ」
ぼくは思わずうめき声を上げる。
けれど、痛いわりに決して悪い気持ちではなかった。

「あ…ご、ごめんなさいッ」
ちよちゃんは慌ててパッとぼくの身体から離れた後、みるみる真っ赤になった顔を覆う。
「見舞いに来てくれたんだね。ありがとう」
ぼくは動く方の右手でその頭を撫でた。
ちよちゃんはよほど安心したのか、うつむいて顔を覆ったまま、また泣き出してしまった。
この子が自分のことをそうまで心配してくれていたことに、ちょっと感動を覚えてしまい、
思わず抱きしめてやりたい衝動にかられた。
身体がこんな状態でなければ、きっとそうしたに違いない。

603 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:32 ID:UDpMyYgI
「良かった」
病室にはもうひとり、思いも寄らぬ見舞い客が居た。
「あ、さ、榊先輩!」
ぼくは瞬時に身を固くして、
「光栄ス!」
と、気張った一声を放つ。
「学校帰りでしたか?ホント申し訳ないです」
「いや…」
榊さんは少し困ったような顔で「そんなことはない」と言った。

「いやぁ、ドジやっちゃいました。ばかでしょ?ぼく」
ぼくはそう言ってヘラヘラ笑っているうちに、いきなり胸に激痛を感じて、
「あいたぁっ!」
と、間の抜けた悲鳴をあげる。
ちよちゃんがニコニコしたまま、ヒビの入った部分をつついたのだった。
しばらく見ないうちに恐ろしい真似をするようになった…
ぼくは半泣きになりながら、小さな声で「ごめんなさい」と言った。
それから、3人みな一斉にプッと吹き出してしまった。


604 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/05 19:33 ID:UDpMyYgI
学校帰りに来てくれたのだろう。ふたりとも制服のままだ。
窓の外に目をやれば、すでに夕暮れを過ぎようとしていた。
「さっき、ゆかちゃん達と会って教えてくれたんです」
それで飛んで来たのだという。嬉しい限りではないか。
それにしても。
「事故ったとはいえ、なんだって死んだなんて…」
「だって」
ちよちゃんは赤い目のままちょっと怒ったように頬を膨らませて、
「こんなもの顔に乗せて寝てたら、誰だって勘違いしちゃいますよ!
 イタズラにもほどがあります!」
と言って、持っていた白い紙を突き出して見せた。

「な、何だこりゃ?
 これ、おれの顔に乗ってたの?」
「はい」
おれはハッとして、
病室の棚の方を見ると、見覚えの無い果物カゴが差し入れられている。
「妹のしわざだ。…あんにゃろう」
みるちーとゆかちゃんに事故のことを教えたのも妹だろう。
とはいえ、ちよちゃんの言うとおりイタズラにもほどがあるというものだ。
「じゃ、びっくりさせたね。ごめんよ」
「…いや、いいんです。ジュニアさんが無事だったから」
ちよちゃんはそう言ってニコリと笑った。
その笑顔が、どうしようもなく眩しかった。

ぼくにはその眩しさが、この井戸の底に降り注ぐひとすじの光のように感じてならなかった。

616 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:06 ID:cgKyVkC/
「でも良かった。ちよちゃんが乗っている時じゃなくて」
ぼくはひとりごちた。
本当にそれだけは、ため息の出る思いだった。万が一そんな事にでもなっていたら目も当てられない。
「あの時はゆっくり走ってくれたから」
ちよちゃんはそう言ってくれたし、実際あの時はあの時なりに万全の注意を払ったつもりでいたのだが、
どうも「事故を起こせばこうなる」という自覚には欠けていたのではないだろうか。

ちょっと転んだだけでケガもするし死にもする。
バイクは一歩間違えれば人を殺しうる道具なのだ。
楽しさにばかり目を奪われ、そんな当たり前のことをはたして実感として持っていたわけではないと思う。
免許が没収され、もはや卒業までバイクに乗ることは出来ないが、そんなこととは関係なく、
ぼく自身この先その自覚を常に持てそうにないのなら、もう乗るべきではないだろう。

帰り際、ちよちゃんが「次来るとき、何か欲しいものとかありますか?」と尋ねるので、
ぼくは少し考えた後、写真屋に現像を頼んでいたフィルムがあるのを思い出し、
「じゃ、このお金で受け取りお願いできるかな」
と、あつかましく言って、
壊れてファスナーが閉じなくなったみっともない財布から夏目漱石を2枚取り出し手渡した。

ちよちゃんは嬉しそうに笑って、
「お安い御用です!」と言い、「それじゃ、また明日来ますね」と言った。
「いや悪いよ。そんなに急がなくても、都合のいい時で」
ぼくが慌てて答えるのを遮って、
「また明日」
ちよちゃんはもう一度確かめるようにそう言うと、
「それじゃ」
と一礼して榊さんとともにぼくの病室を後にした。

617 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:07 ID:cgKyVkC/
相部屋に空きがなく個室での入院だったので、ひとりの時は暇で仕方がなかった。
雑誌やTVもあるのだが、こういうのは他の色々な用事の合間に観るのが面白いのであって、
これだけでは暮らしていけないものなのだとつくづく思う。
身体を動かさず何かを延々とし続けることがこれほど苦痛だとは、健康な時には思いもよらなかった。
自業自得とはいえ、これから半月以上もこんな生活が続くのかと考えるだに憂鬱だった。

消灯後もしばらくTVも眺めていたが、やがてそれにも飽きてしまうと、
看護婦さんに見つからないようベッド脇の引き出しに隠しておいた携帯電話を取り出し、
誰にということもないがメールでも打つことにした。
アンテナは折れディスプレイに小さなヒビが入ってしまっているが。財布同様使うのにはさして問題はない。
まあ、あまりみっともいい物ではないので、退院したら買い換えることにしよう。

(ん?)
メールが一件入っている。
「大丈夫?」
という4文字だけ。送信者は別れた彼女からだった。
「…」
ぼくは何となくやるせなくなって、携帯を再び引き出しの中に突っ込んだ後、
横になって目をつむり無理矢理眠ることにした。

618 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:07 ID:cgKyVkC/
ちよちゃんは予告どおり、次の日もお見舞いに来てくれた。
今日はひとりだった。一度家に帰ったらしく私服である。
「これですよね」
と言って、写真屋の紙袋を手渡してくれた。
「ありがとう。中は見てみた?」
「ちょっとだけ。お店の人が、『これでよろしいですか?』って。
 風景の写真ですよね?…でも、ちゃんとは見てないです」
なら一緒に見ようか、と言って、ぼくは写真をベッドの上にならべた。
思ったよりもよく撮れている。
それは紅葉の風景だった。

「最近、写真に凝ってるんだ」
最初は使い捨てのカメラを持ち歩いていたのだが、徐々に飽き足らなくなり、
バイクを買うつもりで夏に稼いだ金で新しいカメラも買ったのだ。
元来ぼくは凝り性な方なのかもしれない。

「綺麗ですねぇ」
ベッド横のイスに腰を下ろし、一枚一枚手にとって見ながら、ちよちゃんは嬉しい感想を述べてくれる。
「あれ?この山って…」
「分かった?そう、あの時一緒に行った所だよ」
「へぇっ。こんなに見え方が変わるものなんですね!」
そう言ってちよちゃんがひと際大きく目を輝かせてくれたのは、彼女と歩いたあの丘から一望できる、
赤・黄・オレンジの色とりどりの衣をまとった山々の姿だった。


619 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:08 ID:cgKyVkC/
実際ぼくもこの写真が一番気に入っている。
紅葉の美しさ自体もさることながら、バックの夕焼けがまるで空が山の色に染め上げられたようで、
非常に具合の良い写りを見せているのだ。
もう一枚、同じ場所から街の姿を撮った写真もあるのだが、
こちらは夕日の逆光がきつすぎて甚だよろしくない。
素人なりに。写真は奥深いということがよく分かったような気がする。
これを生業として義父が稼げるのも頷けるというものだ。

「これが一番綺麗な時期だったんじゃないかな」
本当は、と言ってぼくは食い入るように写真を見つめているちよちゃんの頭を撫でた。
「約束どおり連れて行ってあげたかったけど、
 もう少しで紅葉は終わってしまうし、バイクにもしばらく乗れないから…これで勘弁して」
約束、と聞いてちよちゃんはハッとしたように顔を上げた。
「憶えてて、くれたんですね?」

「そりゃ…」
あの丘の上で「紅葉になったら、連れてきてあげる」と言いだしたのは自分だったし、忘れていたわけではなかった。
「でも、ちよちゃん怖かったからなぁ」
あの後ちよちゃんの家の前で見せられたものすごい剣幕を思い出して、ぼくは苦笑する。
「…」
「あっ」
ほんの軽口のつもりだったのに、またもやぼくの一言にちよちゃんは目を潤ませていた。


620 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:08 ID:cgKyVkC/
「ごめんなさい…」
ちよちゃんは小さく呟いた。
「ちよちゃん…」
両手で顔を覆って俯いているちよちゃんの頭を、無事な方の右手で引き寄せるようにして、
「もしかして、ぼくの怪我が自分のせいだと思ってるの?」
そういえば、昨日も寝ていたぼくに「ごめんなさい」と泣いていた。
うかつにもこの時まで忘れてしまっていたので、その言葉の意味を考えることは無かったが、
とにかく、
「全然、そんなことは無いんだよ。だから謝ることなんて…」
そう言ってぼくはちよちゃんをなだめた。

「違うの」
ちよちゃんは小さな肩を震わせながら、
「…嬉しいんです」
と言った。
「いつも私のこと優しい目で見ていてくれて…いろんなお話してくれて…」
ふいに彼女はイスから立ち上がって、
真っ赤な瞳のままベッドの上身を乗り出してぼくの頭をそっと抱いてくれた。
ふんわりと柔らかいあの感触とちよちゃんのいい匂いが、鼻先をくすぐるようだった。

「とても大事にしてくれてるのに、私はこんなに意地悪で…」
きゅっ、とちよちゃんの腕に力がこもる。
痛くはなかった。
「ごめんなさい」
ぼくの髪に頬擦りするようにしながら、ちよちゃんは優しい声でそう言った。
「…」
ぼくはそのいじらしさに言葉も無く、涙がこぼれそうになった。
ただちよちゃんに抱きしめられながら、
背に回した右手でポンポンとかるくちよちゃんの背中を叩いてやる。

621 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/08 18:11 ID:cgKyVkC/
どうしてか、ぼくはこの時ちよちゃんがいとおしくてたまらなかった。
この小さな子とずっとこうして抱き合っていたい衝動に駆られる。
その衝動に、ぼくは素直だった。
「いいよ、ちよちゃん」
ぼくは突拍子も無いことを言う。
「帰るまで、布団にお入り。あったかいから」
ちよちゃんはそんなぼくの言葉に驚くでもなく、「いいの?」とだけ言って、
それからぼくの答えを待たず「それじゃ、少しだけ…」と、その身体をベッドの中にもぐりこませてきた。

659 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:33 ID:r9PgrrEX
ぼくは右足と左腕をギブスで固められてるので動けなかったが、
ちよちゃんは器用にぼくのふところに顔をうずめてきた。
「えへへ…」
ベッドの布団の中、胸元でちよちゃんのあどけない笑顔が僕を見上げている。
暖かい。
「私が居てもだいじょうぶ?」
「大丈夫。折れたトコは固めてるし…咳したり笑ったりしなければ、
あばらもそんなに気にならないよ」
でも見つかったら看護婦さんには怒られちゃうかな、と言ってぼくは左手でちよちゃんの頬を撫でた。

ちよちゃんはくすぐったそうにしながら、
「次郎さん」
「ん?」
ジュニアではなく、それは確かに「次郎」という聞きなれない呼びかけだった。
「どうしたの?ちよちゃん」
ぼくはちよちゃんと鼻先を合わせながら、とぼけたようにそう言った。

ちよちゃんはまるで隠れるように、布団にくるまりぼくの胸元に顔をおしつける。
「知ってました?私、次郎さんのこと大好きなんですよ」
「うん…」
とぼくは答え、「知っていたよ」と言った。
そして、ぼくもそれからようやく素直になれるのだった。
「ぼくも、ちよちゃんが好きだよ…………前から。ずっと、前から…きっと」
ぼくは幸福感でいっぱいだった。

660 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:34 ID:r9PgrrEX
はたから見れば異様と言うほかは無いと思う。
病院のベッドで4つも年下の子供と抱き合っているなんて、誰にも見せられない姿だろう。
けれど、ぼくはこの時この瞬間、そんなことは全くどうでも良かった。
ただただこのぬくもりを手放したくない…ただそれだけだった。
(ああ、何だろう?)
からっぽだった胸の奥が、急速に何かで満たされていく。
それは温かさのようでもあり、柔らかさのようでもあった。

この子もぼくと同じように感じているのだとしたら、
「幸せだ…」
ぼくは口からつい言葉を漏らす。
「幸せだよ、ちよちゃん。君とこうしていると」
鼻先に触れるちよちゃんの髪の良い香りを覚えながら、彼女の耳元にそう囁いた。
「はい」
ちよちゃんは少し上気した顔を上げて、「私も…」と呟いてぼくの頬にチュッと唇を寄せてきた。
それから真っ赤に火照った頬をぼくの頬に当てて、「幸せ」と言った。
無心にしがみついてくるちよちゃんの体温とすべすべした肌触りが、この上なく心地良い。


661 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:34 ID:r9PgrrEX
(これは欲だろうか)
はたしてぼくは、淫らな気持ちでこうしているのか?という自答がふと頭に浮かんだ。
幼くてもちよちゃんは女の子だ。
そのからだをぼくは欲しがっているのだろうか?と。
そうかもしれない。
ぼくが男であるかぎり、そうしたこと抜きで恋や愛情とかいうやつだけが芽生えるわけではないだろう。
(けれど)
ぼくが今この子を求める心には一点の曇りもない。
自分を好きだと言ってくれたちよちゃんを、なによりも大事にしたいと思う。
そして同様に、彼女がぼくを求める気持ちも純粋なものだと信じたい。

心がこうしてつながっていなければ、いくら体を重ねても決して分かり合うことはできないのだ。
げんに、別れた彼女とはなんの理解も無いまま終わってしまっている。
けれど、ぼくはやっとこの大きな何かの存在を実感することができた。
大事なものは、無理に言葉にはしたくない。
愛とか情とか言った時点で嘘っぽくなる気がしたからだ。
(それに)
この時ぼくらには言葉など必要なかった。
ただただお互いの温かさに身を任せていれば良い。

ただ、ちよちゃんがぼくを見上げて目をつぶったので、
ぼくはそっとその小さな唇に自分のを合わせ、その感触を確かめたのだった。

662 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:35 ID:r9PgrrEX
ちよちゃんが帰った後、ひとりで夕食をとっていると、義父が見舞いに現れた。
沖縄からの帰りで、空港から直接足を運んでくれたらしい。
仕事道具のカメラや機材を抱えたままだった。
義父は、ぼくが事故を起こしてからすぐに駆けつけられなかったことを詫びる。
不思議なことに、そういう義父の態度に媚とか欺瞞をみることは無かった。
つくづく人柄なのだと思う。
といって、やはり立場上いささか苦手な人物であるには変わりないのだが。

彼はふと先ほどぼくらが見ていた山の写真に目を留めた。
「これは、次郎くんが撮ったのかい?」
ぼくがそうですよと答えると、義父は「ふうん」と言って、何事かまじまじと写真を眺め始めた。
身内とはいえ仮にもプロの目に自分の拙い作品(?)が晒されるのはさすがに忍びなく、
「あの…」
と声をかけると、義父は不意に「他にはないか」と言った。

それが思いがけず強い調子だったので、逆らうこともできずぼくは半ば渋々紙袋を手渡した。
義父はそれを受け取るが早いが、ベッド脇のイスに腰を下ろし、次々と束ねた写真に目を通し始める。
(ああ、やはりこの人は根っからのカメラマンなんだ)
素人の撮ったものであるにも関わらず、
写真を目の前にして普段目にすることのないどこか鬼気迫るその表情を目の前に、
ぼくは呑気にそんなことを考えていた。

663 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:37 ID:r9PgrrEX
「これと、これと…これだな」
めぼしき写真だったのか、先程の風景写真の他2~3枚を束から抜き取って一言、
「これを預けて欲しい」
と言った。
ぼくには義父が何のつもりなのか図りかねたが、ちよちゃんの他は別段見せたいと思う相手もいなかったので、
紙袋ごと持って帰ってもらうことにした。

お見舞いなのか何なのかよく分からない訪問だったが、何の運命のイタズラか、
この時この出来事が、まさかぼくの一生を左右することになろうとは、その時は知る由もない。
義父が帰った後は早くもそんな事は忘れてしまっていて、夜ひとりになると、もうちよちゃんの顔を思い浮かべたり、
昨夜のメールの返信に「大丈夫!」と打ったりしているのだった。


664 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:38 ID:r9PgrrEX
ちよちゃんはその後も退院まで毎日お見舞いに来てくれた。
文化祭のあった日でさえ、終わってから顔を出してクラスでやったというヌイグルミ喫茶の話などしてくれた。
ぼくらはその間(あのキス以来)特に何があるわけでも無かったが、
お互い1時間でも2時間でも一緒に居て他愛の無い話をするのは楽しかったし、また安らかな気持ちになれた。
今さらな気がして口には出さなかったが、これからもずっと一緒に居られればと思う。

半月後。
左腕を三角巾で首から吊るし、右脚を補装具で固め、右手には歩行杖という仰々しいいでたちで、
ぼくは退院した。
それから自宅で2~3日のリハビリの後、ぼくは学校に行くことにした。
出席がギリギリという焦りもあったが、それ以上に、
することの無い生活にいい加減ウンザリしていたのが大きかった。
人間とは案外勤勉な生き物だ。

665 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/13 17:38 ID:r9PgrrEX
そういう格好で学校に来ると、やはりあれこれ尋ねてくる物好きはどのクラスにも居るもので、
彼らは最初のうちは恐る恐る、慣れてくるとたちまち図々しくあれこれ事情を聞いてくるのだった。
クラスの連中にしてみれば、
バイクに乗るのも停学を喰らうのも珍しい話らしく(嫌味な現国の教師には『佐藤 悪童』という、
これまた不名誉なあだ名を付けられた)、ましてや大怪我したいきさつなど話題にはこと欠かない。
ぼくも自分の話を興味深げに聞いてもらえるのは決して悪い気はしなかった。
昼休みになれば、「パン買ってきてやるよ」と、思いがけぬ親切をかけてもらえたし、
向こうもこちらを「意外と感じのいいヤツ」と見たようで、
それまでのよそよそしい態度がまるで嘘のようだった。

(結局、話してみなけりゃよく分からんてコトだよな)
そしてそのきっかけは、存外容易なものだった。
人と人とのご縁なんて、そういう些細なきっかけの連続に過ぎないのかもしれない。
ぼくとちよちゃんにしてからがそうだった。
ぼくはあのわずかな入院期間で身に着けた哲学癖がまだ抜け切らないらしく、
そんなことがボンヤリ頭に浮かんでいた。

クリスマスが過ぎ(ちよちゃんには、あの風景写真を引き伸ばしたパネルをプレゼントした)、
年が明けようとしていた。


                  続く(次々回更新にて完結)

747 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:53 ID:ZHc7T9lX
大晦日の夜、ちよちゃんから明日初詣に行かないかという電話があったので、
紅白が終わり除夜の鐘を聞いた後、ぼくはすぐに寝ることにした。
初日の出でも撮りに行こうかと思ってはいたのだが、
だいぶ回復したとはいえ病み上がりの体にそれはいささかキツイので、丁度良かった。
ギブスと補装具こそ取れていたが、歩くとすぐ疲れてしまうので、
外出するのにまだ歩行杖は手放せないのだ。

朝起きると、妹が綺麗な振袖を母に着せてもらっていた。
「あ、お早う。にぃ」
「明けましておめでとう」
義父は昨日めずらしく深酒していて、まだ起きてはこない。
母はそれに付き合っていてまだ眠いらしく、昼までもう一眠りしようかと言った。
妹もみるちーやゆかちゃんと初詣に行くと言うので、
それならちよちゃんも来ることだし、せっかくだから一緒に行こうということになった。

外は一年の始まりに相応しく、良い天気だった。
「家で大人しくしてればいいのに」
杖をついて歩くぼくに、妹は白い息を弾ませながらそう言うが、
「まぁ、骨は治ったんだし、無理しない程度に少しは動いた方がいいんだ」
ぼくはそう答え、「ちょっと太ったしね」と付け加える。

正直、2~3キロ体重が増えたことよりショックだったのは、ギブスを外したあとの手足の萎え方だった。
今ではかなりマシになったが、取った直後の四肢の太さのあの明らかな左右差には驚いた。
たった数週間使わないだけで筋肉がこうも退化してしまうとは、やはり骨折も経験してみなければ分からない。
ともあれ、それ以来意識して歩くようにはしているのだ。

748 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:53 ID:ZHc7T9lX
「そうだね、それに…」
「うん?」
「ほら。アメリカ行っちゃったら、初詣なんて次いつ来られるか分からないじゃない」
「ああ…」
日本に残るのか、家族とともに向こうへ渡るのか、ぼくもそろそろ決めなければならない。
昨日までは8割がた前者の方に考えてはいたのだが…ここに来てこういう変化があるとは、
自分のことながら予想だにしなかった。

ぼくは昨夜の義父の話を思い出していた。

「才能と努力。このありふれた言葉の意味を本当に理解している人間が、はたして何人いることか」
というのが、義父の話の切り出し方だった。
だいぶ酔っていた。
「金メダルやノーベル賞を取るというのであれば、もちろん生まれつきの持ち合わせも要るだろう。
苦しいことも積み重ねていくことも必要だ」
しかし、我々凡人について言えば、果たして天性に備わる才能や血のにじむような苦労というやつが、
一体どれほどの意味を持つのか、と。

才能ばかりで安穏としていては大成しないのはもちろんのこと、つらいばかりの努力では長続きしない。
それでは意味が無いのだ、と。
「大事なのは、自分の取り組む事を如何に深く愛せるか、だ。
 『才能』とは、物事を最初から上手くこなせるという意味ではなく、その度合いなのだ。
 好きなことのためならば、多少の困難は乗り越えられる。『努力』とはそういうことだ。
 決して、やりたくもない事を黙々とこなすという意味ではない」
「しかるに次郎くん」
そう言って、義父は本題に入る。

749 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:54 ID:ZHc7T9lX
話が多少くどくなるので、以下かいつまんで述べることにする。
つまりこういうことだった。

義父は、入院しているときに目にしたぼくの写真にその才能を感じたのだという。
しかし、なにぶん身内のことなので、自分の目が曇っていることもあり得る。
そこで、知り合いの写真雑誌の編集にその写真を送り、その審査を仰ぐことにした。
はたしてあの作品は今シーズンにおける優秀賞と内定し、その連絡を受けてこの話をすることにした。

写真を始めて間もないぼくがレベルの高いこの雑誌で賞を得られるのは中々の快挙と言えるらしい。
「もし次郎くんが写真に興味があり、この先も勉強する気があるのなら」
自分のもとで修行してみないか、と言うのである。
ともにアメリカに渡り、ハイスクールに通いながら義父の仕事に付き合っていれば芽が伸びるのは早いはずだ、と。

750 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:54 ID:ZHc7T9lX
「…それで、にぃはどうするの?」
「もう少し考える」
「そう…」
妹はぼくの生返事が少し不服だったのか、
「でも、お母さんもお義父さんも…にぃには来て欲しいと思ってるよ」
と言った。
「分かってる」
ぼくは頷きながら、
昨夜酔った勢いだったのか義父が口にした「私には子供がつくれないのだ」という言葉を思い出していた。

ちよちゃんの家では、みるちーとゆかちゃんも待っていた。
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」
新年の挨拶をひととおり済ませたあと、ぼくらはさっそく初詣へ向かうことにする。
4人ともあでやかな振袖を身にまとっていた。
子供でも綺麗な着物を着るのはやはりイイものだ。

驚いたことに、ちよちゃんは自分で着付けができるのだという。
「うん。きれいだよ」
とぼくが言うと、彼女はちょっと恥ずかしそうに笑った。
「私は?」
ぼくの脇腹をつつきながら妹が言うので、
「こっちの3人と比べるとちょっと見劣りがする」
と率直な意見を述べると、着物で怪我人にローキックという信じがたい攻撃が飛んできた。

751 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:55 ID:ZHc7T9lX
案の定、神社は人でごった返していた。
「離れるなよ」
「はぐれるぞ」
と言っていたにも関わらず、みるみるうちにぼくらは人ごみの中で別れ別れになってしまった。
もっとも、ぼくとちよちゃんが他の三人とはぐれてしまった形なので、
彼女らの変な(この年頃にありがちな)気遣いだったような気もする。

いちいち携帯電話で待ち合わせるのも面倒だったので、
ぼくはそのままちよちゃんとふたりでお参りを続けることにした。
「ふたりになっちゃいましたね」
「嫌かい?」
ぼくが冗談めかすと、ちよちゃんは「まさか」と言って笑った。
「ゆかちゃん達には悪いけど、これはこれで…ちょっと嬉しいかも、です。」
子供らしく、素朴というかストレートな言葉だったが、はにかむちよちゃんの姿が愛らしくて、
ぼくは思わず彼女の頭を撫でてしまった。
3人がどこからかこちらの様子を窺っているのであれば、きっと笑ったに違いない。

「足はもう大丈夫なんですか?」
初詣に並ぶ列の中、「何だか誘って悪かったみたい」と申し訳無さそうに言うちよちゃんに、
ぼくはかぶりを振って「もうだいぶ良くなったんだ」と答えた。
「おかげ様で、3学期が始まるころには杖も要らなくなりそうだよ」
「そうですか。…良かった」
そんな他愛の無いことを自分のことのように喜んでくれるちよちゃんの純真さが、ぼくにはやけに嬉しかった。

752 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:56 ID:ZHc7T9lX
「次郎さん?」
「ん?…ああ」
ふとアメリカ行きの事が頭をよぎった。
(向こうに行ってしまったら、この無垢な笑顔とはお別れなんだ…)
それは如何にも惜しい気がしてならない。
(けれど)
ぼくがこの先何をしたいのかといえば、義父の言うとおり、ぼくは写真を好きになり始めている。
その意味で彼の言う「才能」は確かにぼくに備わっているのかもしれないし、
「努力」に関しても、知識や技術を学ぶ苦労は厭わないだろう、という妙な自信もあるのだ。

本当にカメラマンの道を歩むのか(そしてカメラマンになれるのか)は別として、
これがぼくの一生を左右する選択であることは間違いない。
外国に行って見聞を広めてくるのも人生における大きなチャンスだということだって分かる。
だが、そのためにここを離れ見知らぬ土地へ行くという実感が今ひとつ湧かないのも事実だった。



753 :ちよちゃんとぼく。 :02/11/21 15:56 ID:ZHc7T9lX
順番がやってきた。
ちよちゃんと揃って賽銭を投げ込み、大鈴をガラガラ鳴らし、手を2度打って合わせる。
が、どういうわけか中々願い事が浮かんでこなかった。
(要するに、宙ぶらりんなんだよな)
結局「自分にとって良い選択ができますように」という、何とも歯切れの悪いお祈りの後、ちよちゃんと列を離れた。

「なにをお祈りしたんですか?」
「んー…今年も良い年でありますように、って。ちよちゃんは?」
ちよちゃんは「うふふ」とイタズラっぽく笑って、
「秘密です」
と言った。

「何だい?それ」
そう言ってぼくもちょっと笑ってから、
(この笑顔のために)
ひとり日本に残るのも悪い話じゃないよな、などという考えがどこからか浮かんでくるのだった。


               (次回更新にて完結)

827 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:03 ID:tj87PQHP
3学期が始まってすぐ、ぼくはクラスメートに勧められて写真部に入部した。
ぼくの受賞が載った雑誌を片手に「どうか?」と言われた当初は、アメリカ行きのことも頭にあり、
「長く部に居られるか分からない」と遠慮した。
が、バイトを辞め放課後が暇であったし、何より写真には興味があったので、
2~3日後「それでも良ければ」ということで入部させてもらったのだ。

部と言っても10人にも満たない小さな活動で、普段部室に出入りするのは5~6人程度の集まりだった。
他のメンバーは運動部とかけもちらしい。
みな親切で、本当に写真の好きな人の集まりらしく、入ったばかりで何も知らないぼくにも良くしてくれた。
プロカメラマンを家族に持ち、
本人も名のあるコンテストの受賞者ということで多少ちやほやするところもあったのかもしれない。
受賞の栄誉については、ぼくは一貫して「偶然」と主張していたのだが、
実際、シャッターを押す操作以外基本的なことがまるでダメだったのには驚かれた。

ともあれ、入部してから一ヶ月あまり。
ひととおり撮影のセオリーと現像の仕方がまがりなりにも分かるようになると、
それまではツーリング先でなんとなく手にしていた程度のカメラが俄然面白くなってくるのだった。


828 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:03 ID:tj87PQHP
コンテスト受賞の話は学内でも意外に広まっていたらしく、
嫌味な現国の教師には「佐藤 神童」という皮肉たっぷりのあだ名を付けられた。
むろん悪い気はしない。
学校の勉強は相変わらずだったが、
アメリカへ行くかどうか決めてもいないくせに英語の授業だけは何となく身が入った。
それまで中学の知識どまりだった学問も、少しやる気になってみれば案外できるようになるものだ。

ちよちゃんに勉強を教えてもらいながら、テストではどうにか人並みの成績を修められるようになってきた。
もっとも、この勉強がそのまま会話に生かせるかどうかは定かでは無かったが…
入学してから約10ヶ月。
ようやくぼくは高校というものに馴染み始めたのだと思う。

そんなある日のことだった。
たまたま帰りが一緒になった榊さんと、ぼくはちよちゃんの家にお見舞いに行くことにした。
雪合戦をしていて風邪を引いたのだという。
家の近い榊さんは、その日のぶんのプリントを持っていく途中だった。
ぼくは、
「…ちよちゃんらしいのからしくないのか、良く分かりませんね」
と言って笑った。
「神楽と大阪はちょっと落ち込んでた。それで昨日は3人で行ったんだ」
どうもそのふたりが、風邪の一因だったようだ。


829 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:04 ID:tj87PQHP
「それにしても、つくづく…ちよちゃんて友達多いですね」
神楽という名前も、ちよちゃんのお話でよく耳にするうちのひとつだ。
「うん」
あの子の美徳は数え切れないほどたくさんあるが、
とりわけその人当たりの良さは特筆していいだろう。
見習いたいとは思いながらも、あんな風に自然体で誰とでもつきあえるのは天性というほかはないのだろう。
ぼくにはとうてい真似などできそうになかった。

(けれど逆にその才能が…ちよちゃんの孤独を見えなくしているのではないか?)
そう思い始めたのは、一体いつのことだったか。
それから大分長いこと経つような気がする。

ふと、入院の時ちよちゃんが言った言葉を思いだした。
「いつも私のこと優しい目で見ていてくれて…」
あれは、ぼくのそういう意識を指してのものだろうか。

頭の良いちよちゃんの事だから、
ぼくがあの子をそのように考えて理解したつもりになっているのを、あるいは分かっているのかも知れない。
ちよちゃんは言うまでもなく小さなカワイイ女の子だが、
同時に少し怖い一面があることも、ぼくはよく(おそらく、こればかりは誰よりも)知っている。


830 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:05 ID:tj87PQHP
まだ熱が下がっていないということだったので、プリントを渡し2、3話しをした後、
ぼくらはすぐおいとますることにした(ちよちゃんは『もう少しゆっくりしていってください…』と言ってくれたが)。
「今日はありがとう!次郎さん。榊さん」
そう言って手を振ってくれるちよちゃんを後に、ぼく達は再びふたり帰路につく。

「熱があるとはいっても…けっこう元気そうで良かったですね」
帰り道、ぼくがそう榊さんに言うと、彼女は「うん…」と頷いた。
が、その表情にどこか腑に落ちないものがあったので、
「何か?」
と尋ねると、
「いや、その…」
別に、と榊さんは言ったが、何も無いにしては少し気になる横顔に見える。

(ホントに何もないにせよ…。こんな風な言い方されると気になるな)
そう思いつつ、言いにくいことを無理に言わせるわけにもいかないので、
ぼくはあえて追及しなかった。
しかし、そう考えている間に榊さんは言う決心をしたらしく、
「あの…」
とぼくに声をかけるのだった。

831 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:06 ID:tj87PQHP
「佐藤くんが海外に行く話…本当?」
「…」
ぼくはちょっと考えた後、首を振って「分かりません」と答えた。
「正直、迷ってるんです。行くかどうか…そろそろ決めなきゃならない時期ですけど」
榊さんはぼくの言葉にそう、とだけ答えたが、今度はぼくの方が疑問を抱く番だった。

「ちよちゃんから聞いたんですか?」
榊さんは何も言わなかったが、それで充分だった。
ちよちゃんに家族のアメリカ行きの話をした憶えは無かったが、その他に榊さんが知りうるわけがない。
「それじゃ、私こっちだから」
彼女はそう言ってT字路で足を止め、ぼくに手を振る。
「じゃ、また…」
ぼくも手を振り返して別れを告げたが、歩き出そうとしてふともう一度目にとめた榊さんの後姿が、
なぜか「どうしてちよちゃんに直接そのことを言わないの?」と責めているように見えるのだった。

そもそも迷っているうちは誰にも言うつもりは無かった。
おそらく妹から、みるちーやゆかちゃん達を経て伝わったには違いない。
けれどぼくは、全てを決めてからちよちゃんにその事を告げるつもりだったのだ。
…けれど。
(はたしてそれだけか?)
それでは榊さんの言葉に小さな棘を感じる理由はない。
逆に、今の今までちよちゃんがこの事を知っているなんて、夢にも思わなかったその意味は?

「…馬鹿なんだよ。オレ」
誰にということもなく、ぼくはひとり口の中で呟いた。

832 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:06 ID:tj87PQHP
果たしてあれは恋だったのだろうか?

入院している時も考えたし、この時も考えた。
ずっと考え続けているのだが、今もってその答えは出ていない。
恋というには、ちよちゃんは頭が良くてもまだほんの子供だったし、ぼくはただの馬鹿だった。
あまりにも未成熟と言える。
…あるいは、出会うのが早すぎたのかもしれない。
そう思うだに歯がゆかった。

833 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:07 ID:tj87PQHP
今年のバレンタインは日曜だった。
その前々日、帰りが一緒になったちよちゃん(待っていてくれたらしい)が「映画に行きたい」と言ったので、
この日はふたりで街に出た。
ちょっと洒落たパスタ屋で昼食をとり映画を観たあと、時間もあるし少し歩こうかということになり、
アクセサリーのショップを覗いたり、ちよちゃんご推薦の店で肉まんを頬張ったりしていた。

ふと待ち行く人々の姿が目に止まり、
(周りには…ぼくらはどう見られているんだろう)
という、つまらない疑問が頭をよぎった。
(4つも年下のコだぞ?事情を知らなきゃ、仲の良い兄妹か…いずれ恋人には見えないだろうな)
それでは、ぼくらのことを知っている妹は?榊さんの目にはどう映っているのか。
(…待てよ。そもそも)
周りにどう見えるか以前に、ぼくら自身一体どういう関係と言えば良いのか分からないではないか。

「次郎さん?」
夕暮れの帰り道、ちよちゃんは思わず黙りこんでしまったぼくの顔をいぶかしげに覗きこんでくる。
「ん?…ああ」
「はい、チョコレートです」
彼女らしく小さな赤いリボンで可愛らしくラッピングされた包みが手渡された。
「…」

834 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 20:08 ID:tj87PQHP
(やっぱり、ぼくは馬鹿だ)
心の中で密かに何度も自分を罵倒しながら、それと悟られぬよう笑顔でぼくは「ありがとう」を言って、受け取った。
(どんな関係だっていいじゃないか)
ちよちゃんはぼくのことが好き。ぼくもちよちゃんのことが好き。
それ以外に何がある?
自分がほんの少しでも気にとめていたことへの余りの馬鹿馬鹿しさに、笑いさえこみ上げてきた。

「ちよちゃんは、真っ直ぐだね」
「えっ?」
いつでも…頑張っているのはちよちゃんで、頑張らせているのはぼくの方だった。
こんなふうに、素直で良かったんだ!
ぼくはやっと理解した。

笑われたっていい。
眉をひそめられても仕方ない。
けれど、ぼくらにとってお互い好き合うこと以上に大事なことがあるだろうか!
恋人同士ではないにせよ、想い慕う心は変わらないのに!
ぼくは馬鹿だ!

「ありがとう。ちよちゃん」
ぼくはもう一度礼を言って、ちよちゃんの頭を撫でた。
ちよちゃんはいつもと変わらず、ちょっと照れた笑顔でそんなぼくに「はい」と頷いてくれる。
涙が、こぼれそうだった。

836 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 21:00 ID:tj87PQHP
3月。
ちよちゃんは12歳の誕生日を迎える。
電話で招待してくれたパーティにはしかし女の子ばかりと聞いたので、遠慮することにした。
「そのかわり、それとは別に個人的にお祝いさせてくれないかな」
と言うと、
「それなら…パーティはお昼だから、晩ご飯を一緒にどうです?」
という返事が返ってきた。

「夜外に出ていいの?」
「はい」
ぼくはお父さんとお母さんの方は?と聞こうとしてやめた。
どちらも仕事で忙しく、帰ってくるのがいつも夜中遅くなるのを思い出したからだ。
もしその晩家に両親が居るのなら、家族思いのちよちゃんがそれを放って夜の外出をするなど考えられることではない。
「…それじゃ、何か美味しいもの食べに行こう」
「はいっ!」
電話の向こうで聞こえるちよちゃんの元気な声に、嬉しいような寂しいような少し複雑な気分を味わいながら、
ぼくは迎えに行く時間を約束して電話を切った。

「いいの?」
その会話が耳に入ったのか、居間で隣にいる妹がぼくに尋ねた。
「いいんだ」
ぼくの心は既に決まっていた。
「ごめんね…」
「ん」
いつになく沈んだ妹の声に、ぼくはわざと何でもないように素っ気無く答えて2階の部屋に上がっていった。

837 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 21:08 ID:tj87PQHP
その日、ぼくは約束どおりちよちゃんの家に行き、彼女を連れて街に出た。
デート(と言ってよいのか)は何度もしているが、
日が暮れてからちよちゃんと出歩くのは初めてだった。
「こんな時間に外にでるなんて…」
心なしか浮かれて見えるちよちゃんがそう口にしたので、
「不良だね」
と言ってからかうと、
ちよちゃんは「誰かのが感染ったんですよ!」とふくれっ面をしてみせた。

たった数時間のうえ、何か変わったことをしたわけでもなかったが、
それからの楽しい時間は今でも忘れない。
いつもどおり他愛の無い会話をしながら洋食屋で食事を取る。
そこでちよちゃんは昼のパーティで手作りのヌイグルミをもらったこと、
最初は驚いたけど嬉しかったことなど、色々な話をしてくれた。
友達のこと。
学校のこと。
ぼくも最近になってようやくできた高校生らしい生活について、話は尽きなかった。

それから夜の街を少し歩き、9時を回ったころに帰路につく。
ちよちゃんにとっては夜更かしに入る時間らしい。電車に揺られながら、眠い目をこすっている。
「だいじょうぶ?」
「…うん」
少し上気したような赤いほっぺのちよちゃんが、ぼくの横に座っている。
「もうちょっとだから」
と言うと、彼女はスンと鼻をすすって、ふいに甘えるようにぼくの肩にもたれかかってきた。

そう。
残された時間はあと少しだった。

839 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 21:19 ID:tj87PQHP
駅を出ると、3月とはいえさすがにこの時間の夜風はまだ冷たかった。
ぼくらは身を寄り添うようにしながら、帰り道を歩いていく。
途中、奇異の目で見る人も居たかもしれないが、ぼくはそれで一向に構わなかった。
「公園…寄っていこうか」
ぼくが微かな声でそう言うと、ちよちゃんは黙って頷いた。

暗い静かな公園は、いつもと違って見える。
去年のあの日…忠吉さんを連れてこの公園を歩いたあの日から、1年も経ってはいない。
その間、本当に色々なことがあった…
ぼくもちよちゃんも数え切れない多くのことを経験して、今またここを訪れる。
その経験で、ぼく達は少しは大人になれただろうか?
答えのない問いかけだった。

公園のベンチに腰掛ける。
ちよちゃんもぼくの隣にちょこんと座ったが、
「少し寒いね。ここにおいで」
そういってぼくが膝をポンと叩くと、ちよちゃんは「うん」と言って、すぐに身を寄せてくる。
「足は…大丈夫ですか?」
「平気」
ちよちゃんの程よい重さを感じながら、ぼくは後ろからしかと彼女の体を抱きとめた。
鼻先に見える彼女のうなじ。
ちよちゃんの良い香り。
だがこの時のぼくには、それがまるで目にしみるような錯覚を覚えるのだった。

840 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 21:38 ID:tj87PQHP
「…」
「…」
…長い沈黙のあと、ぼくはやっと口を開く。
「行くことにしたんだ」

「…」
ちよちゃんは何も言わず、黙ってぼくの言葉を受け止めていた。
「向こうでどのくらいになるのか分からない。
 でも、1年や2年で帰ってこれる雰囲気ではなさそうなんだ」
「…」
ちよちゃんは振り返らない。
一体どんな表情をしているのか分からなかったが、ぼくは言葉を続けた。

「ぼくはお義父さんについていく。
 そしてプロのカメラマンになって、帰ってこようと思う」
そう。
ぼくが数ヶ月かけてやっと出した答えがこれだった。
この3月で1年生を修了した後、渡米して向こうの新年度が始まる9月まで英語の勉強をしつつ義父の元で修行を積む。
その後はハイスクールに通いながら写真の勉強を続け、
卒業後は美大に入るにせよ働くにせよ、写真家の道を歩みたい。
それが、ぼくが進むと決めた道だった。


841 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 22:04 ID:tj87PQHP
「急な話になってごめん。…隠すつもりじゃ、なかったんだ」
「謝らないでっ」
ちよちゃんは、振り向いてぼくのほうに体を向け、乱暴なくらい突然ギュッと抱きついてきた。
ぼくの首に両腕をまわし、どこにも逃げられないようにしがみつく。
「ちよちゃん…」
「いいの」
頬に触れるちよちゃんの唇が、そっと囁いた。

「いいの…次郎さん。もう少しの間、こうさせて………」
ますます締め上げるようにちよちゃんは腕に力を込めてくる。
ぼくは窒息しそうになりながら、けれど幸福感でいっぱいだった。
「ちよ…ちゃん」
ぼくは押しつぶされそうな声を上げる。
「ん…」
柔らかいちよちゃんの唇が、ぼくの唇に触れた。
どちらからということもなく、ぼく達は自然その感触を求めていたのだ。

長い長い接吻のあと、ぼくの腕の中でちよちゃんが言った。
「私はズルい女の子です。
 事故で入院していたあの時、私…次郎さんが彼女さんと別れてたの、知ってたんですよ?
 アメリカに行くことだって…」
目を潤ませてそう言うちよちゃんに、ぼくは再び唇を重ねて、
「最後まで隠し通せないそういうところが、ちよちゃんらしいね」
と言った。


842 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 22:29 ID:tj87PQHP
「知ってるよ。…ちよちゃんのことだったら、何でも知っている。
 ちよちゃんは可愛いよ。でも、可愛いだけじゃない。
 頭がいいことも…子供らしいところも、大人っぽいところも…怖いところも知っている」
「コワイの…?」
ちよちゃんの腕の力は抜ける気配を見せなかった。
「うん…。でも、大好きだ。
 出会ったばかりの頃のただ可愛いちよちゃんより、ずっと魅力的なんだ!
 泣いたり、笑ったり…怒ったり。
 ぼくの中には、たくさんのちよちゃんが居る」
だからこそ、ぼくは決心できた。

ふいにちよちゃんの声に涙混じりになった。
「ああ、次郎さん…好きです。大好きです」
「…ぼくもだ」
こうしていると、夜風も寒くはなかった。
いつまでもこうしていたい。
いつまでも…



843 :ちよちゃんとぼく。 :02/12/02 22:30 ID:tj87PQHP
「…いつか」
「はい」
「ニューヨークに遊びにおいで。空港には…ハーレーで、迎えに行くから」
冗談交じりにそう言うと、初めてちよちゃんはぼくに抱きついたまま首を左右に振って、
「…だめですよぅ」
と言った。
「バイクは、もう駄目です…」
「駄目かな…やっぱ」
「ダメ…」
ぼくらは、その夜3度目の…そして最後のキスをする。

(この次会う時は…)
ぼくはひとり心の内に呟いた。
(君の恋人になりたいよ…ちよちゃん)
夢のように甘い忘れ得ぬひととき。
ぼくは目を閉じて、ただ彼女の温もりだけを感じていた。


                        了


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